【女真文字】完顔希尹【契丹】耶律阿保機【西遼】耶律大石

1115年に女真族の中国王朝
金を建国した人物は?
打王保阿耶
機律顔完骨
完顔阿骨打(答)
50%

次の歴史上の人物を
性別ごとにグループ分けしなさい
【男性】カリギュラ、耶律阿保機
【女性】メリト・プタハ、エイレーネー、王異


次のうち、中国・五代十国時代の
「五代」に当たる国を
全て選びなさい
後蜀
後漢(答)
後魏
後梁(答)
後周(答)
後晋(答)
後唐(答)
38%
引用元:後梁、後唐、後晋、後漢、後周 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/41885/

女真の完顔部の族長。女真族を統一し、1115年に金を建国。太祖。猛安・謀克を組織し、女真文字を制定した。

 わんやんあぐだ ツングース系の女真の完顔部の族長。女真を統一し、遼(契丹)からの独立を目指し、1115年に遼軍を破り国号を金として皇帝となった。金の太祖(在位1115~1123)。その後領土を拡大、華北に進出し、宋と結んで遼を攻撃した。その支配した領域では猛安・謀克制をしき、また女真文字を制定した。
引用元:完顔阿骨打/太祖 https://www.y-history.net/appendix/wh0303-026.html

ワンヤンアクダ(完顔阿骨打)

[生]遼,咸雍4(1068)
[没]天輔7(1123)
中国,金の第1代皇帝 (在位 1115~23) 。廟号は太祖。諡は武元皇帝。完顔劾里鉢 (世祖) の次子。遼の天慶3 (13) 年按出虎水流域の完顔部長の位を継ぎ,トボギレと称した。遼から節度使を授けられたアクダは,女真を属部と考えきびしい収奪を行なってきた遼に対し,その支配から脱しようと志し,翌年挙兵して大勝。熟女真や渤海人を招撫し,同5年皇帝の位につき大金国と号し,収国と建元し独立。従来のボギレ (勃極烈)制を改め,中央政治組織とし,地方行政機関として路制を定め,これに改編した猛安・謀克を編入,行政機構を再編成し,女真文字を作らせた。天輔5 (21) 年宋と協力して遼を攻撃,中京,西京を落し,翌年親征して燕京を占領,遼を事実上討滅し,さらに天祚帝を追撃しようとしたが,病没した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:ワンヤンアクダ(完顔阿骨打)(ワンヤンアクダ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%80%28%E5%AE%8C%E9%A1%94%E9%98%BF%E9%AA%A8%E6%89%93%29-154486

完顔希尹

[生]?
[没]天眷3(1140)
中国,金の重臣。女真名は谷神,諡は貞憲。太祖ワンヤンアクダ (完顔阿骨打)挙兵以来軍功をあげた。当時の女真人のうち一流の教養人でもあり,天輔3 (1119) 年命により女真文字を作成した。同6年以来宗翰に従い,元帥右監軍として遼,宋の征討に活躍。また宗翰とともに第3代皇帝煕宗 (きそう) の擁立に尽力して,尚書左丞相兼侍中,開府儀同三司となったが,煕宗の補佐役らにその勢力増大を恐れられて兵権を奪われ,のち讒言により死を賜わった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:完顔希尹(かんがんきいん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%AE%8C%E9%A1%94%E5%B8%8C%E5%B0%B9-48539

耶律 阿保機(やりつ あぼき、Yelü Abaoji)は、遼の建国者。「阿保機」とはあだ名「アブーチ」(掠奪者)の音訳とされる。

契丹の建国[編集]
916年3月17日の第2次即位において国号をキタイ=契丹とし、元号を神冊と定め、キタイ人の王朝を建国した。太祖は北宰相に蕭実魯、北院夷離菫に斜涅赤、南府宰相に耶律蘇、南院夷離菫に耶律迭里を任じ、国家運営を進めていく事になる。

西の突厥・吐渾・小蕃・阻卜・タングート・ウイグル・沙陀諸部、北の女真、南の中国10余州、東の渤海を討って服属・占領、長子突欲(劉倍)を封じて東丹国を作った。渤海との戦役からの帰路の途中で病没した。

遊牧民と定住民を別の機構で統治する二重統治体制、遊牧所領内にも多くの都市を建設するなど、遊牧国家に農耕国家の機構を取り入れ、匈奴以来の遊牧国家機構をより強固なものとした。また、920年には大小2種の契丹文字を制定した。
引用元:耶律阿保機 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B6%E5%BE%8B%E9%98%BF%E4%BF%9D%E6%A9%9F

耶律阿保機/太祖
契丹の部族を統合して916年に契丹を建国。後に遼の太祖といわれる。

 やりつあぼき。916年に契丹(遼)を建国した太祖。契丹の8部族の一つ、迭刺(テツラ)部の族長。耶律が姓で阿保機が名。本名はチュエリだが、簒奪者を意味するアブーチと呼ばれるようにある。その漢名が阿保機である。他の7部族の族長を次々とだましうちにして契丹族を統一し、916年に皇帝(カーン)を称して、契丹国を建国した(後に虚空号は中国風に遼に改める)。廟号を太祖という(在位916~926)。耶律阿保機は中国風の文明と政治機構を取り入れたが、920年には契丹語を表記するために漢字を模倣して、契丹文字を制定した。
 耶律阿保機の契丹は周辺の征服に乗り出し、突厥、タングート、ウイグルなどの諸民族を制圧、さらに926年に渤海を滅ぼし、中国への進出を図ったがその年に病没した。
引用元:耶律阿保機/太祖 https://www.y-history.net/appendix/wh0303-012.html

耶律大石
遼(契丹)の皇帝の一族で、1125年、遼滅亡の際に西方に逃れ、1133年に西遼を建国した。

 やりつたいせき 遼の皇帝の一族の契丹人。遼が1125年に宋・金の連合軍に攻撃されて滅亡する前に一部の契丹人を引き連れて、外モンゴルに脱出し、山西省の北辺の回復を図った。それには成功せず、さらに西進し、カラ=ハン朝を倒して1133年にベラサグンを都に西遼(カラ=キタイ)を建国。さらに西トルキスタンに入り、ウイグル人を服属させ、サマルカンドを攻略し、ブハラも支配した。
引用元:耶律大石 https://www.y-history.net/appendix/wh0303-029.html