サンディカリズム【労働組合主義】

獄中で大逆事件を免れる
サンディカリズムを唱える
月刊『平民新聞』を創刊
憲兵大尉・甘粕正彦により暗殺
大杉栄(答)
賀川豊彦
片山潜
幸徳秋水
41%

1897年雑誌『労働世界』を創刊
日本初の労働組合設立に尽力
コミンテルン常任執行委員会幹部
日本初のセツルメントを設立
片山潜(答)

百科事典マイペディアの解説
無政府主義の社会運動家,理論家。香川県丸亀生れ。名古屋陸軍幼年学校時代上官に反抗して放校,東京外国語学校仏語科在学中,平民社に出入りし,幸徳秋水らの影響をうけ,社会運動に参加。電車賃値上反対のデモで投獄され,以後入獄のたびに〈一犯一語〉をめざして外国語修得に努めた。1908年,赤旗事件で入獄し,大逆事件を免れる。1912年荒畑寒村と《近代思想》,1914年月刊《平民新聞》創刊。1916年,神近市子,伊藤野枝との恋愛問題で神近に刺される。第1次大戦後アナ・ボル論争の中心人物となったが,関東大震災直後,伊藤野枝とともに憲兵大尉甘粕正彦に虐殺された(甘粕事件)。著書に《自由の先駆》《自叙伝》など,訳書にクロポトキン《一革命家の思出》,ダーウィン《種の起源》など。全集11巻がある。
出典 株式会社平凡社
引用元:大杉栄(おおすぎさかえ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9D%89%E6%A0%84-39296

大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 – 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。

概要[編集]
明治・大正期における日本の代表的なアナキストである。大逆事件の後にマルクス主義者の中で優勢になったアナ系[1]の大立者であったために危険視され、関東大震災直後、憲兵隊司令部で不慮の死を遂げる。(甘粕事件)

自由恋愛論者で、居候中に堺利彦の義妹堀保子[2]を強引に犯して結婚する[3]。当時、保子は深尾韶と婚約していたが、これは破棄された。だが、栄は保子と入籍せず、神近市子に続き、伊藤野枝とも愛人関係となって、野枝は長女魔子[4]を身ごもった。女性達からは常に経済的援助を受けていたが、野枝(とその子供)に愛情が移ったのを嫉妬した市子によって刺された日蔭茶屋事件(日影茶屋事件)では大杉は瀕死の重傷を負った。
引用元:大杉栄 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%89%E6%A0%84

甘粕事件(あまかすじけん)は、関東大震災直後の1923年(大正12年)9月16日、アナキスト(社会主義思想家)の大杉栄と作家で内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一(6歳)の3名が不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で憲兵によって扼殺され、遺体が井戸に遺棄された事件である。被害者の名前から大杉事件ともいう。

軍法会議の結果、憲兵大尉(分隊長)甘粕正彦と同曹長森慶次郎ら5名[注 1]の犯行と断定されたが、憲兵隊の組織的関与は否定され、疑われた上級の命令者の存在などは明らかにされなかった。

亀戸事件と共に代表的な戒厳令下の不法弾圧事件[1]で、地震の混乱で発生した事件の1つ。
引用元:甘粕事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6

サンディカリスム(フランス語: Syndicalisme、英語: Syndicalism、サンジカリスム、シンディカリズム、シンジカリズム)は、労働組合主義、組合主義、労働組合至上主義とも訳され、資本家や国家主導の経済運営ではなく、集産主義的な労働組合の連合により経済を運営するというもの。資本主義あるいは社会主義に代わるものとして提案された経済体制の一種またはその思想。

特に急進主義的なサンディカリスムは革命的サンディカリスムとも呼ばれる。革命的サンディカリスムの支持者は労働組合を、資本家による労働者の搾取体制を覆すためだけでなく、多数派の利益に基づき社会を公平に運営するのにも、適した手段となりうると考える。労働組合は政治活動ではなく直接行動を行い、ゼネストで資本主義体制を倒して革命を達成し、革命後は企業でも政府でなく労働組合が経済を運営する。

また、革命後に国家を廃止または縮小して労働組合やその連合体が政治や経済を行うという、アナキズムと結合したアナルコサンディカリスムは、スペインなどで有力となった。他方、革命後には国家の力により労働組合やその代表者が政府機関に参加して経済を運営するという、国家主義やナショナリズムと結合した国家サンディカリスムは、イタリアなどで有力となり、後にはイタリアのファシズムにも大きな影響を与えた。
引用元:サンディカリスム – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[生]安政6(1859).12.3. 岡山
[没]1933.11.5. モスクワ
日本における労働運動の先駆者,社会主義者。旧姓藪木。 1884年渡米,苦学してエール大学を卒業した。この間キリスト教に入信し,キリスト教社会主義の影響を受けて労働・社会問題に興味をもった。 95年帰国,ただちに職工義友会に参加。労働組合期成会結成時には幹事として活躍した。 1904年アムステルダムでの第2回国際社会主義者大会 (第2インター) では,G.プレハーノフとともに副議長となり,軍国主義打倒の演説を行なった。 07年『社会新聞』を発刊。議会主義,普通選挙運動を主張し,幸徳秋水らの急進論と対立した。 10年の大逆事件後,11~12年東京市電争議を指導,投獄され,出獄後 14年弾圧を避けて渡米,22年ソ連に渡り,コミンテルンの執行委員となった。以後国際プロレタリア運動に大きな役割を果し,ソ連は国葬によって生前の功に報いた。主著『日本の労働運動』 (1901) ,『我社会主義』 (03) ,『自伝』 (22) 。
引用元:片山潜(かたやません)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%BD%9C-45001