漏刻祭【近江神宮】

「漏刻」と呼ばれる、このような
水時計を作った天皇は?
(画像出題)
桓海智大武
皇天古聖推
天智天皇(答)
55%

水時計(みずどけい)とは、容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計のこと。東洋(中国由来)のものは漏刻(ろうこく)ともいう。西方のものはクレプシドラ(英綴り、clepsydra)ともいう。砂時計のような、点滴式のようなものもある。

概説[編集]
水時計は、日時計と同様、(日にちを数えるために刻み目を付ける棒を除けば)おそらく最古の計時器具である[1]。その古さゆえに水時計がいつ・どこで発明されたかは不明である。ただ、日時計では夜間には使えないことからこれを補うものとして水時計は作られたと考えられている[2]。

水が流出する椀状の水時計は最も単純な型であり、紀元前16世紀ごろのバビロニアや古代エジプトには既に存在していたことが知られている。世界の別の地域、例えばインドや中国でも古くから存在していたが、最古のものがどの時代から存在していたかはよく分かっていない。しかしながら、水時計は前4000年には中国に出現していたと主張する研究者もいる[3]。

日本[編集]
天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている[2]。即位後に新たな漏刻を整備(『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条)したとされ、1981年に発見された飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構と言われている[2]。なお、天智10年4月25日(四月辛卯)は、ユリウス暦では671年6月7日、グレゴリオ暦では同年6月10日にあたり、日本では後者の日付より毎年6月10日が「時の記念日」とされている[2]。

『続日本紀』宝亀5年(774年)11月10日条には、陸奥国司が「陸奥は大宰府と同じく危機を警戒しなければならない地(異民族に攻められやすい国境)だが、大宰府には水時計があるのに陸奥国にはこれがない。これではいざという時、文書(報告書)を送る際、いつ送ったか時刻が書けない。時刻は記す必要性があります」旨の言上があったため、「陸奥国にも水時計を設置した」と記述され、古代では攻められやすい国境に水時計が重要なものとして認識されていたことがわかる。

琉球王国の首里城には水時計を置いた「漏刻門」があり、その補助的役割として、「日影台」と呼ばれる日時計も置かれていた[15]。
引用元:水時計 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%82%E8%A8%88

天智天皇の漏刻製作
近江神宮の漏刻
近江神宮の御祭神天智天皇は、その10年(671)4月25日に漏刻を作り、大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始されました。その10年ほど前、斉明天皇の6年(660)にも中大兄皇子が漏刻を作られたとの記述があり、どちらにも「初めて」と書かれているので、その関係はよくわかっていません。そして斉明6年の方には日付がないので、天智10年のその日を太陽暦(グレゴリオ暦)に直して6月10日を時の記念日とされました。
 この時の漏刻がどのようなものであったのか、文献には全く記載がなく、不明というしかありません。飛鳥の水落遺跡は斉明朝の漏刻の跡ではないかとされていますが、漏刻そのものが出土しているわけではありません。
引用元:漏刻について|近江神宮 http://oumijingu.org/publics/index/167/

漏刻祭
ろうこくさい

6月10日の時の記念日ゆかりの祭典。天智天皇10年4月25日(太陽暦に直して6月10日)漏刻を用い鐘鼓を鳴らして時を知らせたとする『日本書紀』の記述にもとづき、日本の時刻制度の創始を記念し毎年行われる。
王朝装束をまとった時計業界関係者が、袿袴(うちきはかま)姿の采女(うねめ)4名を従えて、各メーカー奉納の時計新製品を献納し、時の祖神に感謝するとともに、業界の発展と社会の繁栄を祈願する。女人舞楽・原笙会により舞楽が奉納される。
引用元:漏刻祭 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる! https://www.biwako-visitors.jp/event/detail/16861