『聖ルイの歴史』【ジョアンビル】

1248年からの第7回十字軍で
アイユーブ朝のエジプトを
攻撃するために遠征するも敗北
して捕虜になったフランス王は?
フランソワ1世

ルイ9世(答)
シャルル2世
フィリップ2世
26%

次のフランスの王様の別名を
名前に含まれる「◯世」の数字が
小さい順に選びなさい
剛勇王 フィリップ3世
端麗王 フィリップ4世
獅子王 ルイ8世
31%

引用元:【3】剛勇王【4】端麗王【8】獅子王 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/46231/

ルイ9世
13世紀、フランスのカペー朝の国王。聖王と言われた。アルビジョワ十字軍、第6、第7回の十字軍を派遣。さらにルブルックをモンゴルに派遣した。

 フランス王国・カペー朝の王で在位1226~1270年。敬虔なキリスト教信者であったので聖王または敬虔王と言われる。
アルビジョワ十字軍  祖父のフィリップ2世の時に始まった南フランスの異端アルビジョワ派に対するアルビジョワ十字軍を、1229年に終わらせ、王権を南フランスまで及ぼした。国内政治では官吏の腐敗の防止に努め、裁判制度を整備してパルルマン(高等法院)の基をつくった。
第6回、7回の十字軍  またキリスト教徒としての義務感から第6回と第7回の2度に渡って十字軍を起こしたが、1248年の第6回十字軍ではエジプトで捕虜となり、1270年の第7回十字軍ではチュニスに到着したが自らでチフス(か赤痢)に罹って死んでしまった。弟アンジュー伯シャルルはシチリア王となった。
ルブルックをモンゴルに派遣  また1253年には修道士ルブルックをモンゴル帝国に派遣(厳密にはルブルックの自発的旅行であるが)し、東方のキリスト教勢力との提携の可能性を探ったことでも知られる。その信仰心と十字軍活動に対し、ローマ教会はルイ9世に「聖人」の称号を贈った。皇帝や国王で聖人としてまつられることになったのはこのルイ9世だけである。引用元:ルイ9世 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-023.html

第7回十字軍(だい7かいじゅうじぐん、1248年 – 1254年)は、フランス王ルイ9世が主導した十字軍。アイユーブ朝のエジプトを攻撃したが、敗北して捕虜となり、占領地を全て放棄した上に莫大な身代金を支払って撤退した。

結果[編集]
西欧有数の大君主であるルイ9世が大敗したことで、キリスト教世界の威信は大きく失墜、さらに十字軍国家を守るべき戦力が大幅に減少した。これを機に伸張したマムルーク朝は、十字軍国家への攻勢を強め、1290年のアッコン陥落へとつながる十字軍国家滅亡の引き金ともなった。
引用元:第7回十字軍 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC7%E5%9B%9E%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

ジャン・ド・ジョアンヴィル

ジャン・ド・ジョアンヴィル(Jean de Joinville, 1224年 – 1317年12月24日)は、シャンパーニュ伯家の重臣(セネシャル)で、第7回十字軍に従軍した。後にルイ9世の伝記『聖王ルイの生涯』を著し、伝記作家として後世に記憶される。

シャンパーニュ伯ティボー4世の宮廷で教育を受け、父の跡を継ぎセネシャルとなった。彼は適度に信心深く、1244年にルイ9世が第7回十字軍を募るとこれに参加したが、十字軍の苦戦の中でルイ9世の知遇を受け、次第に重用されるようになった。

特に解放されてアッコンに到着した後、ルイ9世がフランスに帰るか留まるか諸侯に相談した際、フランス諸侯の多くが帰国することを望んだのに対し、唯一人現地に留まることを主張した。結果的にルイ9世がこれを受け入れたため、以降、王の相談役、代官として活躍した。1254年に帰国した後は、シャンパーニュ伯のセネシャルとして勤め、1270年にルイ9世が第8回十字軍を起こした際も誘われたが参加しなかった。

ルイ9世の死後、列聖のための調査が始まった際、ルイ9世を親しく知るものとしてジョアンヴィルも1282年に証言を行っている。フランス王妃でありシャンパーニュ伯として主君でもあるジャンヌの命により「聖王ルイの生涯」の記述を始め、1309年に完成させてルイ10世に捧げている。
引用元:ジャン・ド・ジョアンヴィル – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB

ジョアンビル
Joinville, Jean, Sire de
[生]1224頃
[没]1317.12.24. ジョアンビル
フランス,ジョアンビルの領主,年代記作者。フランス王ルイ9世に従って第7次十字軍に出征し,ともに捕虜となるなど帰国まで王と行動をともにした (1248~54) 。『聖ルイの歴史』 Histoire de Saint Louisはこの間の回想を中心にした同時代史で,第7次十字軍およびルイ9世治世の貴重な史料である。
引用元:ジョアンビルとは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AB-78763#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2