熊本、福岡、山口【北上の乱】

明治初期に起こった
次の「士族の反乱」を
早く起こった順に選びなさい
神風連の乱
秋月の乱
萩の乱
西南戦争
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1876年に太田黒伴雄らが起こした
明治政府に対する反乱は
萩の乱である
×(答)
◯敬神党の乱(神風連の乱)

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1876年に士族の反乱である
「秋月の乱」が起こったのは
福岡県である
◯(答)
×熊本県

◯×
1876年に士族の反乱である「神風連の乱」が起こったのは熊本県である
◯(答)

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次の明治初期に起こった
「士族の反乱」と
その中心人物の
正しい組み合わせを選びなさい
秋月の乱───宮崎車之助
萩の乱───前原一誠
西南戦争───西郷隆盛
引用元:「士族の反乱」「神風連の乱」太田黒伴雄・熊本県 「秋月の乱」宮崎車之助・福岡県 「萩の乱」前原一誠・山口県 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/12679/

明治初期、明治新政府が推進した身分秩序の再編により、既得権益を奪われた士族たちがたびたび反乱を起こしました。明治7年(1874)に佐賀の乱、同9年に神風連(じんぷうれん)の乱(熊本県)、秋月の乱(福岡県)、萩の乱(山口県)などが相次いで発生しています。そのうち最大規模のものが、鹿児島県士族が中心となり、西郷隆盛を擁立して引き起こした明治10年の西南戦争です。明治政府は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)を征討総督に、山縣有朋と川村純義(かわむらすみよし)を参軍に任命し、征討軍を九州へ差し向けました。

西南戦争では、新しい通信技術であった電信が活用され、現地の戦況が京都・東京へも短時間で届けられました。国立公文書館所蔵「公文録」の中にこれらの電報の原書や訳文などが多く伝わっており、西南戦争研究の基礎資料として利用されています。宮内公文書館にも「西南電報録」など同種の電報の写しや原書が伝わっており、明治天皇及び宮内省へ戦況が報告されていたことが窺えます。
引用元:近代国家 日本の登場 – 7.士族反乱 : 国立公文書館 http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/modean_state/contents/rebellion/index.html

佐賀の乱(さがのらん)は、1874年(明治7年)2月に江藤新平・島義勇らをリーダーとして佐賀で起こった、明治政府に対する士族反乱の一つである。佐賀の役[1]、佐賀戦争とも。不平士族による初の大規模反乱であったが、電信の情報力と汽船の輸送力・速度を活用した政府の素早い対応もあり、激戦の末に鎮圧された。
引用元:佐賀の乱 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E3%81%AE%E4%B9%B1

神風連の乱(しんぷうれんのらん)は、1876年(明治9年)に熊本区(現在の熊本市)で起こった、明治政府に対する士族反乱。敬神党の乱(けいしんとうのらん)ともいう。

1876年10月24日に旧肥後藩の士族太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎ら約170名によって結成された「敬神党」により、廃刀令への反対運動として起こされた。この敬神党が反対派から「神風連」と戯称されていたため、神風連の乱の名がある。のち一部の関係者に名誉回復としての贈位(1924年(大正13年)2月11日、太田黒・加屋に正五位を追贈)がなされた。
引用元:神風連の乱 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1

秋月の乱(あきづきのらん)は、1876年(明治9年)に福岡県秋月(現・福岡県朝倉市秋月)で起こった、明治政府に対する士族反乱の一つである。

経緯[編集]
1876年(明治9年)10月24日に熊本県で起こった神風連の乱に呼応して、旧秋月藩の士族宮崎車之助、磯淳、戸原安浦、磯平八、戸波半九郎、宮崎哲之助、土岐清、益田静方、今村百八郎ら約400名によって起こされた反乱である。
引用元:秋月の乱 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%9C%88%E3%81%AE%E4%B9%B1

萩の乱(はぎのらん)は、1876年(明治9年)に山口県の萩で起こった明治政府に対する士族反乱の一つ。

1876年10月24日に熊本県で起こった神風連の乱と、同年10月27日に福岡県で起こった秋月の乱に呼応し、山口県士族の前原一誠(元参議)、奥平謙輔ら約200名(吉田樟堂文庫「丙子萩事変裁判調書」では506名、岩村通俊遺稿では2千余名と諸説あり)によって起こされた反乱である。後の内閣総理大臣(第26代)田中義一も当時13歳で反乱に参加している。
引用元:萩の乱 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E3%81%AE%E4%B9%B1

西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦である。鹿児島では丁丑戦として語られている。
引用元:西南戦争 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89