【サティー廃止】

次の文字列を順に選んで
18世紀前半に活躍した
「近代インドの父」と呼ばれる
思想家の名前にしなさい
ラーム
モンハン
ローイ
26%

連想
ヒンズー教の最高神の一人
世界の創造を司る
4本の腕と4つの顔を持つ老人
日本での呼び名は「梵天」
ブラフマー(答)


ヒンズー教の最高神の一人
4本の腕にほら貝や棍棒を持つ
世界を維持して秩序を保つ
乗り物は神鳥ガルーダ
シヴァ
ヴィシュヌ(答)
インドラ
ブラフマー
43%


ヒンズー教の神
妻の数は16000人
サンスクリット語で「黒」
ヴィシュヌ神の化身
カーリー
アグニ
スカンダ
クリシュナ(答)
65%

連想
ヒンズー教の最高神の一人
世界の破壊を司る
乗物は牛のナンディン
日本での呼び名は「大黒天」
シヴァ(答)

連想
インドラに代わる神軍最高指揮官
シヴァ神の次男
ヒンズー教の軍神
仏教では「韋駄天」という名前に
スカンダ(答)

ラーム・モーハン・ローイ
Rām Mōhan Rōy

[生]1772.5.22. インド,ベンガル
[没]1833.9.27. イギリス,ブリストル
近代インドの先駆的な思想家。社会改革運動の指導者。ベンガル農村のバラモンの家に生まれ,イギリス東インド会社の地方官吏として勤務したあと,1815年カルカッタに定住し,近代西欧思想の影響を受けて多彩な活躍をした。特にウパニシャッドを尊重してヒンドゥー教の偶像崇拝を攻撃してその浄化を説き,因習や迷信の弊害の除去,サティーの廃止を唱えた。またキリスト教宣教師と神学論争を試み,教育,新聞などを通じて啓蒙に努めた。 1828年ブラーフマ・サマージを設立したのち,インド知識人のなかで最初に渡英し,インドのために政治改革を説いた。
引用元:ラーム・モーハン・ローイとは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A4-147844

ラーム=モーハン=ローイ
18世紀前半のインドの社会と文化の改革を説いた民族独立運動の先駆者。

「近代インドの父」あるいは「インド=ルネサンスの父」と言われている。1772年、ベンガルのバラモン階級の裕福なザミンダール(地主)の家に生まれ、当時の宮廷用語であるペルシア語を学ぶためにイスラーム文化の中心地パトナに遣られ、そこでイスラーム教のスーフィズム思想に触れ、「宇宙を支配する唯一の見えざる神」への信仰を知った。それによってカーストの存在などのヒンドゥー社会の現実に疑問を抱くようになったが、その後にベナレスで『ヴェーダ』や『ウパニシャッド』などインド古来のヴェーダーンタ哲学を学ぶうちに、ヒンドゥー教の根底にも同じ一神教があるのに、現状が儀式や因習、迷信に過ぎなくなっていると考えるようになった。さらにキリスト教や西洋哲学にも学びながら、すべての宗教は「宇宙の創造者であり保持者である永遠不変の存在者」をそれぞれの形式で礼拝するものであるという信念に到達した。その理念に基づいて1828年にブラーフマ協会(ブラーフマ=サマージ)を設立した。これは19世紀インドのヒンドゥー教改革運動の一つとして重要な影響力を持つようになった。
サティ禁止令

 彼は新聞の発行などを通じてカースト制度や幼児婚、特にサティ(寡婦殉死)のような習俗の廃止を主張し、ヒンドゥー教正統派やイギリス当局に働きかけ、1829年にベンガル総督に禁止令を出させることに成功した。かれは1830年、バラモンとして初めて海を渡ってイギリスに渡り、議会でインドの現状について発言し、独立を訴えたが、33年にイギリスのブリストルで客死した。<森本達雄『インド独立史』1973 中公新書 p.64-65>
引用元:ラーム=モーハン=ローイ https://www.y-history.net/appendix/wh1403-109_1.html

ラーム・モーハン・ローイ(Ram Mohan Roy, ベンガル語:রামমোহন রায়; 1772年5月22日 – 1833年9月27日)は、インドのヒンドゥー思想家、社会活動家。寡婦が夫に殉じて焼身自殺する習慣サティーの禁止に大きく貢献した。インド最初の近代人、「近代インドの父」とされ、近代インド思想およびインドの近代化への影響は大きい[1]。西欧的な合理主義に基づいてインドの近代化とヒンドゥー教の復興・改革を目指し、ヒンドゥー教改革運動(英語版)、ベンガル・ルネッサンス(英語版)の端緒となった。
引用元:ラーム・モーハン・ローイ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A4

ブラフモ・サマージ(Brahmo Samaj、ベンガル語:ব্রাহ্ম সমাজ Bramho Shômaj、ブラフモ協会)は、1828年にラーム・モーハン・ローイが設立した社会運動及び宗教運動組織である。当初の名称はBrahmo Sabha(ブラフモ集会)で、正式な設立は1830年。「ブラフモ」はブラフマン言い換えれば宇宙の至高精神を崇拝する人、「サマージ」は結束した人々のコミュニティを意味する。

ベンガル・ルネッサンス(英語版)として知られている19世紀インドの近代化・伝統復興のムーブメントの最初に位置し、19世紀から20世紀のヒンドゥー教改革運動(英語版)の先駆として、アーリヤ・サマージなどの多くの宗教団体に影響を与えた[1]。
引用元:ブラフモ・サマージ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B8