【その題は、〈遺書〉で、ただの一行だけの詩であった。】

作家の言葉
小説『20世紀旗手』
元々は寺内寿太郎の言葉
太宰治
「則天去私」
「選ばれし者の恍惚と不安」
「生まれて、すみません。」(答)
「人生は一箱のマッチに似ている」
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作家の言葉
小説『或る旧友へ送る手記』
芥川龍之介
自殺の際の遺書
「生れて、すみません」
「ぼんやりとした不安」(答)
「則天去私」
「人生は人箱のマッチ箱に似ている」

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作家の言葉
ヴェルレーヌの詩集にある一節
太宰治が引用
格闘家・前田日明がさらに引用
「生まれ出ずる悩み」 有島武郎の小説の題名
「ぼんやりとした不安」 芥川龍之介「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」
「選ばれし者の恍惚と不安」(答)
「生きよ、堕ちよ」 坂口安吾「堕落論」の一節
引用元:「ぼんやりとした不安」芥川龍之介 ポール・エリュアールの詩 サガン『悲しみよこんにちは』の題元 | 【QMA復習】わかればいいのに https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/25563/

寺内 寿太郎(てらうち じゅたろう 1900年? – 没年不明)は、慶応義塾大学初の箱根駅伝ランナー。昭和初期の詩人。川柳にも才能を発揮し、当時流行の探偵小説にも凝ったことがある。

極端な寡作家ながら、宮古時代に「遺書」(かきおき)と題する一行詩(「生れてすみません」)を含む7〜8作の詩稿を完成して帰京。この「遺書」の詩稿は1936年(昭和11年)、山岸を通じて太宰治の目にとまり、太宰の短篇「二十世紀旗手」の冒頭において、エピグラフ「生れて、すみません。」として剽窃されるに至った。[3][4]

もともと寺内は早い時期から太宰の読者だったが、1937年(昭和12年)頃、この「二十世紀旗手」を読んで山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「生命を盗られたようなものなんだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、途方に暮れたという。山岸からこのことを伝えられた太宰は、「あの句は山岸君のかと錯覚するようになっていたのですよ」「わるいことをしたな」と狼狽した。

この後、寺内は文学に挫折し、憂鬱症に陥り、家出を繰り返し、やがて失踪してしまった。敗戦後まもなく、品川駅で目撃されたのが最後の姿だった。

寺内はまた、佐藤春夫の小説「芥川賞-憤怒こそ愛の極点(太宰治)」(『改造』1936年11月、のち「或る文学青年像」と改題)に寺内清の名で登場している。
引用元:寺内寿太郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%86%85%E5%AF%BF%E5%A4%AA%E9%83%8E

山岸外史. 人間太宰治. 日本: 筑摩書房. 1989/08. ISBN 978-4480023377 (日语). 「ぼくはふと太宰に〈生れてすみません〉というこの一句の話をはじめたのである。その題は、〈遺書〉で、ただの一行だけの詩であった。ぼくの従兄弟の寺内寿太郎の作品であった。」 この寺内という人は詩人を目指していたようで、山岸にその詩を見せ、それを後日、山岸は太宰に話したといいます。そして、「二十世紀旗手」が発表されると、寺内は、「『これはどうあっても、外史君が関係している。それ以外に、太宰治にあの詩がつたわるはずがない。君の責任を問う』」と怒り心頭になったようです。さらに「『あれは、太宰の盗用だと発表しよう』」と言い始め、それを山岸が必死になってやめさせたということです。これに対して、太宰は言い訳をしたらしく、『じつは、いつとはなく、あの句は山岸君のかと錯覚するようになっていたのですよ』」と。その後、寺内は憂鬱症が高じ、行方不明になった、と山岸は書いています。
引用元:寺内寿太郎 – 维基百科,自由的百科全书 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%86%85%E5%AF%BF%E5%A4%AA%E9%83%8E

この言葉の産みの親は、当時、詩人として創作活動をしていた寺内寿太郎。寺内が、自分の詩の一説としていとこだった山岸外史に披露したところ、それが山岸とも交流があった太宰の耳へと伝わり、使われてしまったそうです。

今であれば、「それは盗用ではないか」「剽窃ではないか」とブーイングが起こりそうな話でありますが、この当時、山岸と太宰の間で「二人の会話に出てきた言葉は早い者勝ちで使ってもよい」という取り決めがあり、太宰はその取り決めにのっとってこの言葉を用いました。

1937年、この「二十世紀旗手」を読んだ寺内は、山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「自分の生命を盗られたようなものだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、途方に暮れたといいます。
引用元:実は盗用。太宰治文学のキャッチフレーズ「生まれて、すみません」を考えたのは太宰治ではない | 歴史・文化 – Japaaan #日本文学 https://mag.japaaan.com/archives/85964

著書『人間キリスト記 或いは神に欺かれた男』は太宰に多大な影響を与えた。さらに、『人間太宰治』の中では、太宰の短篇「二十世紀旗手」の冒頭に掲げられた有名なエピグラフ「生れて、すみません。」が、山岸のいとこにあたる詩人寺内寿太郎の一行詩「遺書」(かきおき)の剽窃であることを明らかにした。寺内は「二十世紀旗手」を読んで山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「生命を盗られたようなものなんだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、やがて失踪してしまったという。
引用元:山岸外史 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B8%E5%A4%96%E5%8F%B2