【アッカドのサルゴン】

紀元前2350年頃に
初めてメソポタミアを統一した
サルゴン1世は
シュメール人である
×(答)
◯アッカド人

アッカド人/アッカド王国/アッカド語
前2300年頃、メソポタミア地域を最初に統一したセム系民族。アッカド王国を建設したが、前2150年頃衰退した。アッカド語はオリエントの公用語として広く用いられた。

メソポタミア最初の統一王朝

 アッカド人はセム語系に属する民族で、前2300年、メソポタミア全域の都市国家を最初に統一し、領域国家を建設した。アッカドはメソポタミア南部のユーフラテス下流でバビロニアといわれた地方の北よりの地域名で、現在のイラクの中部に当たる。
サルゴン1世 アッカド人は次第に南部のシュメール人と抗争するようになり、前2300年頃、サルゴン1世がメソポタミア南部を支配し、アッカド王国(前2334~2154年)(アッカド王朝とも言う)を成立させた。サルゴン1世は交易路を抑え、メソポタミア全域におよぶ中央集権的な領土国家の最初の支配者となった。彼は「戦いの王」とか、「四海の王」と称したと言われているが、伝説的な内容も多い。
ナラム=シン王 アッカド時代の遺品としては、スサで発見された「ナラム=シン王の石碑」(ルーブル博物館蔵)が有名。ナラム=シンはサルゴン1世の孫で、征服地を西はアルメニア、東はエラム(イラン西部)にまで広げ、アッカド王国の全盛期を出現させた。アラムの中心であったスサで発見されたナラム=シン王の石碑はその戦勝記念碑のひとつであった。
シュメール人の復興   アッカド王朝は11代約180年続いたが次第に衰退し、前2150年頃、バビロニアの東北から興ったグティ人の侵略を受けて滅亡した。グティ人は約125年間、アッカドの地を支配したが、やがてメソポタミアではシュメール人が独立を回復、ウルを拠点にウル第3王朝が出現する。 → メソポタミア文明
引用元:アッカド人/アッカド王国/アッカド語 https://www.y-history.net/appendix/wh0101-013.html

シュメール人
前3000年頃、メソポタミアで都市文明を最初に生み出した。民族系統不明。

メソポタミア文明の中で

「ウルの旗章」の一部  民族系統は不明だが、メソポタミア地方南部(ティグリス・ユーフラテス川下流)で都市を形成し、メソポタミア文明の基礎を築いた民族。紀元前4000紀(前3000年代)の終わり頃、メソポタミア地方南部の平野部で、麦類やナツメヤシの栽培、牛や羊、山羊、豚などの飼育を行い、キシュ、ウル、ウルク、ラガシュなどの最初の都市国家を生み出した。その民族系統は不明で、前4000年紀前半にメソポタミア南部に移動してきたと考えられている。
引用元:シュメール人 https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009.html

サルゴン(1世)
さるごん
Sharru-kin

生没年不詳。古代メソポタミア最初のセム系アッカド人の統一王国とその王朝の創始者(在位前2350ころ~前2295ころ)。アッカド語ではシャッルキン。「アッカドのサルゴン」とよばれる。この名は「王は正統である」を意味するが、その父の名も年少時の名もわからず、多くの伝承がその出生、経歴、外征をめぐってつくられた。母は高貴な尼僧で、彼の誕生後、キノコ籠(かご)の中に入れてユーフラテス川に捨てられ、水汲(く)み人に拾われて果樹栽培者となった話や、その公的経歴がキシュ王ウル・ザババの酒杯官に始まるとする伝承がよく知られている。
引用元:サルゴン(1世)(さるごん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%B3%281%E4%B8%96%29-1539681