【寛永寺】綱吉治斉定【増上寺】忠宣継重慶茂

次のうち、東京の寛永寺
に葬られた徳川将軍を
全て選びなさい
徳川家茂 増上寺
徳川家光 輪王寺
徳川家治(答)
徳川家綱(答)
徳川綱吉(答)
徳川吉宗(答)
徳川家斉(答)
徳川家定 (答)
27%

次のうち、東京の増上寺
に葬られた徳川将軍を
全て選びなさい
徳川秀忠(答)
徳川家宣(答)
徳川家継(答)
徳川家重(答)
徳川家慶(答)
徳川家茂(答)

徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府の将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺と増上寺、及び栃木県は日光の輪王寺にある。江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。

徳川歴代将軍の霊廟所在地
徳川家康(1543年 – 1616年)
久能山東照宮・日光東照宮

徳川秀忠(1579年 – 1632年、家康の三男)
増上寺 台徳院霊廟
崇源院(1573年 – 1626年、秀忠正室で淀殿の妹)
増上寺 崇源院霊牌所
※没後、崇源院霊屋が増上寺に建てられたが、秀忠の没後、崇源院は台徳院霊廟に祀られた。建物(旧崇源院霊屋)は正保4年(1647年)、鎌倉の建長寺に移築され、仏殿となった。

徳川家光(1604年 – 1651年、秀忠の次男)
輪王寺 大猷院霊廟
※法要を寛永寺で行い輪王寺に埋葬された。寛永寺の霊廟は、1720年(享保5年)に焼失し再建されず、霊牌は巌有院廟に合祀された。

徳川家綱(1641年 – 1680年、家光の長男)
寛永寺 厳有院霊廟

徳川綱吉(1646年 – 1709年、家光の四男)
寛永寺 常憲院霊廟

徳川家宣(1662年 – 1712年、家光の三男甲府城主綱重の長男)
増上寺 文昭院霊廟

徳川家継(1709年 – 1716年、家宣の四男)
増上寺 有章院霊廟

徳川吉宗(1684年 – 1751年、御三家で、紀州家二代光貞の四男、家康の曾孫)
墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:有徳院
※吉宗は1720年(享保5年)御霊屋建立禁止令を出し、以降大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立された。

徳川家重(1711年 – 1761年、吉宗の長男)
墓所:増上寺、有章院霊廟に合祀。院号:惇信院

徳川家治(1737年 – 1786年、家重の長男)
墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:浚明院

徳川家斉(1773年 – 1841年、御三卿で、一橋家二代治済の長男、吉宗の曾孫)
墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:文恭院

徳川家慶(1793年 – 1853年、家斉の二男)
墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:慎徳院

徳川家定(1824年 – 1858年、家慶の四男)
墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:温恭院

徳川家茂(1846年 – 1866年、家斉の七男で紀州家十一代斉順の長男)
墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:昭徳院

徳川慶喜(1837年 – 1913年、御三家で、水戸家九代斉昭の七男、一橋家九代当主)
墓所:谷中寛永寺墓地(後継将軍がいないため合祀できず、谷中霊園内に神道形式で埋葬した。)
引用元:徳川家霊廟 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E9%9C%8A%E5%BB%9F

初代・家康は日光東照宮。三代・家光は日光山輪王寺に眠りますが、その他だれがどっちの菩提寺なのか整理すると、

増上寺
二代・秀忠
六代・家宣
七代・家継
九代・家重
十二代・家慶
十四代・家茂

寛永寺
四代・家綱
五代・綱吉
八代・吉宗
十代・家治
十一代・家斉
十三代・家定
引用元:なぜ徳川家の菩提寺は増上寺と寛永寺2つあるの? http://sengokurekishi.com/category10/entry86.html

さて整理すると、徳川家は元々浄土宗だったのですが、家康、秀忠、家光は天台宗に帰依していました。しかし家康は死後神格化する為に日光に祀られ、2代秀忠は天台宗に帰依していたが、徳川の菩提寺である浄土宗の増上寺に埋葬された。3代家光は深く天台宗に帰依していたので寛永寺を作り、法要を寛永寺で行った後、日光へと移され天台宗のお寺、輪王寺へと埋葬されたというわけです。

さて、この家光による寛永寺建立、天台宗への帰依の流れを受けて、4代家綱、5代綱吉は寛永寺に埋葬されます。つまり、これにより寛永寺は正式に徳川家の菩提寺となったわけです。これに怒ったのが増上寺。そりゃそうです。徳川家の菩提寺としてこれまでやってきたのに、おいおいそりゃ無いだろ、と。当然文句を言ってくる訳です。どないなっとんねん、と。

で、なんやかんやあって、それじゃあ交代に埋葬しましょう。増上寺も寛永寺も、どっちも徳川の菩提寺って事でいいじゃないっすか。と。

そういう感じで決着が着いたので、その後14代家茂までは交互に両寺に埋葬されたと。こういう訳です。
引用元:歴代将軍の墓ってどこにある?徳川家の信仰と埋葬の謎を調べてたら夜が明けた。 | 東京上野のWeb制作会社LIG https://liginc.co.jp/274859

<江戸・徳川15代>

徳川は、家康秘密、角、強し、

花よ、さも良し、15代。

徳川は、家康ひみつ、つの、つよし、

はなよ、さもよし、15代。

家康=徳川家康(初代)

ひ=ひでただ=秀忠(2代)

み=みつ=いえみつ=家光(3代)

つ=つな=いえつな=家綱(4代)

つ=つな=つなよし=綱吉(5代)

の=のぶ=いえのぶ=家宣(6代)

つ=つぐ=いえつぐ=家継(7代)

よ=よし=よしむね=吉宗(8代)

し=しげ=いえしげ=家重(9代)

は=はる=いえはる=家治(10代)

な=なり=いえなり=家斉(11代)

よ=よし=いえよし=家慶(12代)

さ=さだ=いえさだ=家定(13代)

も=もち=いえもち=家茂(14代)

よし=よしのぶ=慶喜(15代)

上のゴロで、4代、5代と「つ」が続くので少し覚えにくいかもしれませんが、4代「家綱」の「家」、5代「綱吉」の「綱」で続けて「家綱」になると覚えておけばだいじょうぶだと思います。あと、3代の「家光」。3は「みっつ」だから「いえみっつ」=「家光」、ということで(笑)。室町幕府の3代将軍も「足利義満」=「よしみつ」で、やっぱり「みっつ」なんですよね。わざと、でしょうか?・・・・
引用元:オヤジの趣味は、ゴロ合わせ♪ : 江戸・徳川15代を覚える – livedoor Blog(ブログ) http://blog.livedoor.jp/ab55693323/archives/50809867.html