【入道前】西園寺(藤原)公経【後京極摂政】九条(藤原)良経

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入道前太政大臣───藤原公経
後徳大寺左大臣───藤原実定
後京極摂政前太政大臣───藤原良経
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花さそふ 嵐の庭の 雪ならでふりゆくものは わが身なりけり
はなさそふ あらしのにはの ゆきならでふりゆくものは わがみなりけり

現代訳
(降っているのは) 嵐が庭に散らしている花吹雪ではなくて、降っているのは、実は歳をとっていくわが身なのだなぁ。

入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)の紹介
西園寺 公経(さいおんじ きんつね、正字体:西園寺公經)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。西園寺家の実質的な祖とされている。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経・関白二条良実・後嵯峨天皇の中宮姞子の祖父、四条天皇・後深草天皇・亀山天皇・5代将軍藤原頼嗣の曾祖父となった稀有な人物である。また、姉は藤原定家の後妻で、定家の義弟でもある。
引用元:百人一首 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)96番歌 小倉百人一首辞典 https://100nin1.info/s96.html

ほととぎす 鳴きつる方を ながむればただありあけの 月ぞ残れる
ほととぎす なきつるかたを ながむればただありあけの つきぞのこれる

現代訳
ほととぎすの鳴き声が聞こえたので、その方に目をやってみたが、(その姿はもう見えず) 空には有明の月が残っているばかりであった。

後徳大寺左大臣(ごとくだいじさだいじん)の紹介
徳大寺 実定(とくだいじ さねさだ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。右大臣・徳大寺公能の長男。官位は正二位・左大臣。後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん)として知られる。
引用元:百人一首 後徳大寺左大臣(ごとくだいじさだいじん)81番歌 小倉百人一首辞典 https://100nin1.info/s81.html

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに衣かたしき ひとりかも寝む
きりぎりす なくやしもよの さむしろにころもかたしき ひとりかもねむ

現代訳
こおろぎがしきりに鳴いている霜の降るこの寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を敷いて、わたしはたったひとり寂しく寝るのだろうか。

後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)の紹介
九条 良経(くじょう よしつね、嘉応元年(1169年) – 元久3年3月7日(1206年4月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。後京極 良経(ごきょうごく よしつね)とも。従一位、摂政、太政大臣。後京極殿と号す。摂政関白・九条兼実の次男。
引用元:百人一首 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)91番歌 小倉百人一首辞典 https://100nin1.info/s91.html