【天正大判】後藤徳乗【配賦】個々に割振【配布】広く配る

1589年に豊臣秀吉が聚楽第で
催した淀殿の懐妊を祝った行事
金賦
きんくばり(答)
22%


1588年頃に、豊臣秀吉が命じて
天正大判を鋳造させた金工家の
名前は?
後藤徳乗(答)

はいふ【配賦】
( 名 ) スル
個々に割り当てること。個々に割り振ること。配分。 「部門ごとに間接費を-する」 「即ち己の党与を諸国に-し/日本開化小史 卯吉」 〔同音語の「配付」は関係する一人一人に配り渡すこと、同じく「配布」は多くの人々に広くゆきわたるように配ることであるが、それに対して「配賦」は個々に割りふることをいう〕
引用元:配賦(ハイフ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%85%8D%E8%B3%A6-599282

【5】「カネ」にものを言わせて大盤振る舞いする

秀吉は莫大な財力を武器に、「カネ」で人心を買うこともしています。

豊臣政権を支えていたのは、豊富な「金」と「銀」でした。彼は、佐渡や生野(兵庫県)、石見(島根県)といった主要な金山・銀山を直轄地にして、多大な収益をあげていたのです。

1589年、秀吉は京都に建てた聚楽第(じゅらくだい)で、自らが所有する金銀を皇族はじめ諸大名に分配します。

「弟の秀長には金3000両と銀2万両」「家康には金1000両と銀1万両」など、その総額は計36万5000両にのぼり、枚数にして「金4900枚、銀2万1100枚」。当時の金1両は、現在の価値に直すと数万〜数十万円ともいわれます。まさに大盤振る舞いでした。
引用元:「人たらし」豊臣秀吉のスゴすぎる人心掌握術 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 https://toyokeizai.net/articles/-/136862?page=4

てんしょうおおばん【天正大判】

豊臣秀吉が1588年(天正16)京都の彫金家後藤徳乗に命じて鋳造させた大判。〈大判〉とは大型の判金という意味に用いられる。徳乗は織田信長に仕えて大判を造っており,秀吉はこれを踏襲した。天正大判の量目は44.1匁(約165g),品位は金含有量が73.84%,銀は26.16%となっていた。天正大判は10両大判で,〈拾両・後藤・花押〉の文字が墨書されており,大判の上下,左右には丸い形の桐の模様の極印が打たれている。
引用元:天正大判(テンショウオオバン)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%A4%A7%E5%88%A4-578234

日本史の教科書でも“秀吉の黄金”アイテム出てきます。今回の番組冒頭にも出てきた「天正大判」です。むかしばなしでおなじみ、「大判小判がザ~クザク~!」の大判、日本で初めて本格的につくらせたのは秀吉でした。番組の大判は特に「長(なが)大判」と呼ばれ、タテの長さおよそ17センチ、重さ165.4グラム、純度70~74%(18金くらい)。現存する金貨としては世界最大とか。ちなみに、小判の方も、実物は残っていませんが、大判と同時期に秀吉が鋳造させたという史料があるそうです。

 金の大判小判の生みの親、かもしれない秀吉ですが、関白殿下はあくまでつくらせたヒト。つくった人が別にいます。代々「後藤四郎兵衛(ごとう しろべえ)」をなのる金工職人とその徒弟たちです。この四郎兵衛家、初代は罪を得て投獄されながら、その彫りの技があまりにみごとなことから一転 足利将軍家お抱えになったとも伝えられるスゴ腕の家。ただし、もっぱらつくっていたのは刀剣の装飾具でした。時の後水尾天皇や織田信長にも賞されましたが、秀吉の時は5代目 徳乗(とくじょう)さんが当主のころ。後藤徳乗は秀吉に「判金改・分銅役」を命じられ、刀の飾り製作からまるで違う貨幣鋳造にあたることになります。天正大判をよく見ると上下左右に小さく“丸でかこんだ桐”のマークが刻まれていますが、これは秀吉の家紋、ではなく徳乗がつくったことを示す極印だそうです(後藤系のほかの人の印では“菱の中に桐”なども)。銀山開発でも番組登場のプロ山師 原丹波・淡路の登用で成功した秀吉でしたが、大判づくりでも屈指のプロを使い、最高のモノをつくらせていたことがうかがえます。

大判(そして小判も当初は)、金貨・貨幣ではありますが、今のお金のように売り買いに用いるわけではありません。番組でも少し触れましたが、使い道はもっぱら“贈答品”。家臣・大名や朝廷の貴族などに、秀吉は自家製金貨を贈りまくりました。天正17(1589)年にも貴顕およそ300人に大判5000枚を無料?配布する、その名もそのまんま「金賦り」―かねくばり、という催しをおこなっています。その上で数々の大事業を実施、豪壮な城をいくつも築き、朝鮮出兵まで…。秀吉が亡くなっても、豊臣家は各種造営事業を再開、大坂の陣の戦費も独力でねん出できたのですから、一説に200兆円という秀吉の金(きん)と金(かね)の力には、あらためて驚きを禁じえません。
引用元:今回のヒストリビア:「金が大好き!豊臣秀吉①」 | 歴史秘話ヒストリア | NHK大阪放送局ブログ https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/252407.html