【証】悟り

曹洞宗で説かれる言葉で
悟りを得ることと仏道修行は
一体のものであるという教えは
何?
諸法実相

修証不二(答)
只管打坐
知妙一合
33%

そしてまた、道元禅師は「修証不二」を説かれます。
修は修行、証は悟りのことです。その修行と悟りがへだたりがなく一体だということです。
常識的には修行が先で、悟りは後で、修行の結果お悟りがひらけることだと思いますが、そうなると修行しながら悟りを待ち望むようになりかねません。
禅では、修行と悟りを対立させてその間にいろいろの思慮分別をさしはさむことを「染汚」(ぜんな)といって、とても嫌います。修行は汚れのない事が、不染汚の行でなくてならないのです。修行のときは、求める心を投げ捨て、身も心も修行に打ち込むことが、そのまま悟りだというのです。
引用元:過去の法話|禅のお話|曹洞宗近畿管区教化センター https://www.soto-kinki.net/zenwa/houwa/20021225.php

しょほうじっそう【諸法実相】
仏陀の〈さとり〉の世界から見た森羅万象の真実のすがたという意。諸法とはあらゆる存在,実相とはありのままの真実のすがたのこと。《法華経》の方便品(ほうべんぼん)には,この実相の世界は仏陀の知見したもうところ(仏知見)によってすべて絶対平等である真実のすがたが照らし出されると説かれる。諸法実相は大乗仏教の根本思想として重視されるが,そのとらえ方には発展が見られる。三論宗では空(くう)の理を諸法実相であるとし,天台宗では空・仮(け)・中(ちゆう)の三諦(さんたい)(真理を示す三様の論理)を統一した中道第一義諦(ちゆうどうだいいちぎたい)の理と理解し,禅宗では〈柳は緑,花は紅〉といい,本来の面目が諸法実相を表すとする。
引用元:諸法実相(しょほうじっそう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%AE%9F%E7%9B%B8-80606

しかん‐たざ〔シクワン‐〕【×只管▽打×坐/×祗管▽打×坐】

ただひたすら座禅すること。特に曹洞宗でいう。
引用元:只管打坐/祗管打坐(シカンタザ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8F%AA%E7%AE%A1%E6%89%93%E5%9D%90-517513

知行合一
ちこうごういつ
陽明(ようめい)学の命題の一つ。知ることと実行することとは本来二つには分けられない、とすること。王陽明(守仁(しゅじん))は、朱子学が真理の認識や道徳的是非の判断(知)を先にしてその実践(行)を後にする知先行後論に傾きがちであったことや、明(みん)代の俗学が実践を伴わない空論に流れたことを批判して、知行合一を主張した。そのため、知っているだけで実行しないのはまだ本当の知とはいえない、とし、実践のうえで知と行とが一致することを要請する実践重視・体験重視の立場(事上磨錬(じじょうまれん))をとっている。また王陽明のいう「行」の概念は幅が広く、人間の心の働き、たとえば好悪の情や心に兆す意欲・思念なども「行」に含まれる。「行」は当然、道徳的規範に合致していなければならず、そこでは行動として外に表れた不善だけでなく、心内の思念の不善をも克服する厳しさが求められる。これらを実現する心が、王陽明のいう「良知」である。[杉山寛行]
引用元:知行合一(ちこうごういつ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%90%88%E4%B8%80-96061