『天地有情』星落秋風五丈原

島崎藤村の第一詩集の題名は
『若菜集』ですが

土井晩翠の第一詩集の題名は
『◯◯◯◯』?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
てんちうじょう(答)
35%


処女詩集は『天地有情』
詩人として初の文化勲章受章
仙台市の名誉市民
『荒城の月』を作詞
土井晩翠(答)
野口雨情
北原白秋
萩原朔太郎

連想
本名は「英吉」
処女詩集は「枯草」
詩集「都会と田園」
「七つの子」「赤い靴」を作詞
野口雨情(答)



明治時代に活躍した詩人で
『独絃哀歌』『有明集』などの
詩集で知られるのは
蒲原有明ですが
かんばらありあけ

『暮笛集』『白羊宮』などの
詩集で知られるのは?
有田原明泣
露薄菫風蒲
薄田泣菫(答)
すすきだきゅうきん
34%
引用元:蒲原有明『独絃哀歌』薄田泣菫『白羊宮』 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/34278/

天地有情
てんちうじょう

土井晩翠の詩集。 1899年発表。 41編の詩のほかに,T.カーライル,P.B.シェリーらの詩論,詩人論の訳を付したもの。漢詩の伝統を生かした雄渾な調べで諸葛孔明の尽忠と悲運をうたった新体長詩『星落秋風五丈原』,瞑想的感懐をうたった『暮鐘』などが代表作。
引用元:天地有情(てんちうじょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%9C%89%E6%83%85-102569

「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては余將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を將來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書收むる所余が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名稱を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の發達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぶものに非ず。
東京に於て
明治三十二年三月
土井林吉

星落秋風五丈原

(一)

祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか。
  * * *
丞相病篤かりき。
引用元:土井晩翠 天地有情 https://www.aozora.gr.jp/cards/001081/files/42233_38066.html

土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日(明治4年10月23日) – 1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。姓は元は「つちい」だったが昭和初期に改称した[2][3]。男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された[1]。また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳している。
引用元:土井晩翠 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0