【神寵帝理念】エウセビオス

ニケーア公会議のリーダー
代表的著書は『年代記』
キリスト教最初の教会史家
カイサリアの司教
アタナシウス
エウセビオス(答)
テオドシウス
アリウス
40%


次の公会議と
その説明の
正しい組み合わせを選びなさい
ニケーア公会議───最初の公会議
コンスタンツ公会議───ウィクリフ、フスを有罪に
エフェソス公会議───ネストリウス派を排斥
44%
引用元:ニケーア公会議「最初の公会議」エフェソス公会議「ネストリウス派排斥」コンスタンツ公会議「フスらを有罪」 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/35984/

エウセビオス
4世紀、ローマ帝国末期のキリスト教史家。神寵帝理念を説く。

 325年、最初のキリスト教史として『教会史』を著した司教。その著作は正統なキリスト教の神学の確立に寄与したとされ、教父の一人とされている。ニケーア宗教会議ではコンスタンティヌス帝に陪席し、その決議文を起草し、公認後のキリスト教の体系化の中心となった。彼はパレスチナのカイサリアで司教として活動し、迫害が終わりキリスト教が公認されたことを「神のみわざの証明」とし、信仰が正しかったことを確信して、イエスの出現から教会公認までのキリスト教の歴史を『教会史』としてまとめた。公認に踏み切ったコンスタンティヌス帝を讃え、『年代記』を著し、皇帝の位は「神の恩寵」であるとする「神寵帝理念」を示して国家教会主義への端緒を開いた。皇帝の専制政治を支える役割をはたしたといえる。
引用元:エウセビオス https://www.y-history.net/appendix/wh0103-175_7.html

エウセビオス「教会史」 (上)
講談社学術文庫
エウセビオスキョウカイシ
訳:秦 剛平

キリスト教史の最も重要な1章
イエスの受肉からコンスタンティヌスによる「公認」までを描き、その後の西欧精神史に決定的影響を与えた最初のキリスト教会史!

イエスの出現から「殉教の時代」を経てコンスタンティヌス帝のミラノ勅令による「公認」まで、キリスト教最初期300年の歴史。以後記される教会史の雛形となって著者エウセビオスを「教会史の父」と呼ばしめ、アウグスティヌスの著作とともに現代に至るキリスト教世界の価値観の原点ともなった『教会史』全10巻を全訳、詳細な註と解説を付す。

エウセビオスの『教会史』は、イエスの出現からはじまってキリスト教が帝国の「公認宗教」と認知されるまでの、教会形成と発展の過程における歴史を語ったものである。その歴史とは、キリストについて「証しする」ことがキリストのために「殉教する」ことと同義語であった時代の歴史であり、キリスト教側の弁証家や護教家が、ユダヤ教や諸宗教にたいして、自己が奉ずる宗教の「存在理由」を明確かつ強力に主張するために、それを「定義した」時代の歴史でもある。――<「訳者はしがき」より>
引用元:『エウセビオス「教会史」 (上)』(秦 剛平):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211504

エウセビオス[カエサレアの]【Eusebios】

260ころ‐339ころ
〈教会史の父〉と呼ばれるキリスト教著作家。パレスティナのカエサレアCaesareaで,オリゲネス神学を伝えるパンフィロスの弟子となり,反サベリウス主義の思想を教えこまれる。315年ころカエサレア主教。アリウス主義論争において,最初はアリウスに好意的であったが,ニカエア公会議(325)でアリウスの教説の極端さに驚き,むしろ穏健派として事態収拾に当たった。具体的にはカエサレアで用いられていた信条を提示,その線で公会議をまとめようとしたが,反アリウス派は〈ホモウシオス(父と子の同質)〉の語の挿入という重大な修正を加えた。
引用元:エウセビオス[カエサレアの]とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%93%E3%82%AA%E3%82%B9%5B%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%81%AE%5D-1149101