『和解』

Mのモデルは武者小路実篤
作者自身がモデルの私小説
作者は志賀直哉
父親との確執を描いた作品
『蓼食う虫』
『細雪』
『暗夜行路』
『和解』(答)
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主人公順吉は父の京都来遊に面会を拒絶し、長女の誕生とその死をめぐって父の処置を憎んだ。しかし、次女に祖母の名をかりて命名したころから、父への気持も少しずつほぐれ、祖母や義母の不断の好意も身にしみ、ついに父と快い和解をとげた……。肉親関係からくる免れがたい複雑な感情の葛藤に、人間性に徹する洞察力をもって対処し、簡勁端的な手法によって描写した傑作中編。
引用元:志賀直哉 『和解』 | 新潮社 https://www.shinchosha.co.jp/book/103001/

『和解』(わかい)は、志賀直哉の中編小説。1917年(大正6年)10月1日発行の『黒潮』第二巻第十号に発表。その際、末尾に「(大正六年九月十八日)」と執筆年月日が掲示された。ただしこの『黒潮』誌上における「和解」には、のちの「和解」の十にあたる、有名な妻の出産の部分がまったく書きこまれていない。従って構成は一より十五までとなっている。1918年(大正7年)1月、新潮社より刊行された『夜の光』に収録。そのとき、出産の部分を書き足し、十として挿入、従って構成は一節増えて十六までとなる。

父と不和になっていた作者を「順吉」に置き換えて、次第に和解していく経過をたどる私小説。確執に至った経緯や原因は書かれていないが、同様の内容を含んだ作品に、『大津順吉』『或る男、其姉の死』がある。

登場人物
カッコ内はモデルとなった人物

順吉(志賀直哉)
妻(志賀康子)
モデルとなった志賀康子は、旧姓勘解由小路(かでのこうじ)で、武者小路実篤とは従妹関係。志賀直哉より7つ年下。

M(武者小路実篤)
順吉の友人。小説家。九章で順吉の隣村に移り住む。作中で直哉は、Mとの往来が「自分の心にいい影響を与えた」と振り返っている。実際、武者小路実篤は1916年(大正5年)12月に志賀直哉が所有していた船戸二丁目の手賀沼を見下ろす台地先端部に、妻・房子とともに住宅を構えた。武者小路実篤は『或る男』(1923年(大正12年))の中で、志賀や柳らと足繁く往来した我孫子の生活を語っている。作中でMが丸善の二階でロダンの本を購入している通り、武者小路実篤はロダンをとても好んでいた。
引用元:和解 (志賀直哉の小説) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%A7%A3_(%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%9B%B4%E5%93%89%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%AA%AC)