三部会、(国民議会)、立法議会、国民公会

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立法議会
国民公会
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1302年、フランスのフィリップ4世が召集した身分制議会。ルイ13世の1614年開催を最後に、フランス革命の起きた1789年まで開催されなかった。

 1302年、フランス王国・カペー朝のフィリップ4世はローマ教皇ボニファティウス8世と対立した際、聖職者・貴族・都市の商人代表を召集し、新税の課税を承認させたのが三部会の始まりである。聖職者である第一身分、貴族である第二身分が特権階級であり、第三身分は都市の商人、農民など特権を持たない人びとで構成された。イギリスの模範議会と並んで、身分制議会の典型的な例である。はじめは国王の新税課税を承認するための諮問機関として、国王の意志のもとで召集されるに過ぎなかったが、百年戦争期にはその権威も高まり、貴族と聖職者の第一・第二身分にとっては王権の課税権を制約する機関として意味を持つようになった。しかし、百年戦争を経て、貴族は長期的没落傾向に入り、ヴァロワ朝のもとで王権が強化されると国王は三部会を敬遠するようになった。次のブルボン朝では、アンリ4世は中央集権的な統治機構を造り、徴税システムを整備するなど、三部会への依存の度合いを少なくしていった。
引用元:三部会 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-027.html

国民議会/憲法制定議会
1789年6月に第三身分代表が成立させた議会。フランス革命の重要な決議を行い、91年に憲法を制定し解散した。

 フランス革命の初期に、三部会から分離し第三身分を中心に発足した、憲法制定のための議会。Assemblée Nationale 1789年6月17日に成立し、封建的特権の廃止や人権宣言など重要な決定を行い、立憲君主政を柱とした1791年憲法を制定した上で解散した。
引用元:国民議会/憲法制定議会 https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-022.html

フランス革命期の1791年に成立した立憲君主政のもとでの制限選挙による議会。1792年9月解散。

フランス革命が進行する中、国民議会が1791年憲法を制定して解散した後、その憲法の規定で制限選挙が実施され、成立した議会を立法議会 Assemblée Législative という。憲法に続く諸法規の制定を任務とした。1791年10月~92年9月の約1年間存続した。
引用元:立法議会 https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-045.html

1792~95年、男性普通選挙で成立したフランス革命最盛期の議会。王政廃止、共和制樹立、封建制の無償廃止などを実現した。

 フランス革命の過程で最も高揚した時期、パリの民衆が蜂起した1792年の8月10日事件の結果、王権は停止され、翌9月に男性普通選挙(財産制限のない選挙)が実施された。このフランス最初の男性普通選挙によって成立したのが国民公会 Convention Nationale である。コンヴェンションというアメリカ流の呼び名を用い、新たな憲法の制定をめざす議会そして発足し、1795年10月までの3年間続いた。
引用元:国民公会 https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-053.html

第1段階 1789~1791=絶対王政から立憲君主政へ

:18世紀のブルボン朝のアンシャン=レジーム下では対外戦争と宮廷の奢侈などによる財政難が進行し、ルイ16世は貴族に対しても新たな課税を必要とし、その同意を取るために三部会を招集したが、そこに結集した第三身分の代表は、国民議会の開催を宣言し、憲法制定まで解散しないとして球戯場の誓いを行った。

第2段階 1791~92=立憲君主政から共和政へ

:1791年憲法に基づき、立法議会が成立すると、立憲君主政維持を図るフイヤン派と共和政実現をはかるジロンド派が対立した。ジロンド派は革命干渉軍に対する戦争を主張して内閣を組織し、オーストリアとの開戦に踏み切った。この1792年に始まったフランス革命戦争は、1814年までヨーロッパ全土をまきこむ戦争に転化していく。
引用元:フランス革命 https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-013_1.html