【アッバース朝滅亡】モンゴル帝国

1258年にアッバース朝を
滅ぼした国は
オスマン帝国である
×(答)
◯モンゴル帝国
61%

アッバース朝
アッバースちょう
Abbasids; `Abbās

中央アジア,西アジア,北アフリカを支配したイスラム王朝 (750~1258) 。第2代カリフ,マンスール (在位 754~775) は「平和の都」バグダードを築いて首都とし,政治,経済,文化の中心地とした。マンスールはまたペルシア的な官僚制度を導入してカリフをその頂点とする中央集権的な国家体制を整えた。しかし9世紀後半になるとカリフ権力が弱体化し,地方に独立政権が次々と誕生して,945年にはバグダードもブワイフ朝のアミール政権のもとにおかれ,1055年からはセルジューク朝の保護下にあった。 12世紀中頃からカリフはイラク地方の統治権を回復したが,1258年モンゴル軍のバグダード攻略によって,ついにアッバース朝は崩壊した。
引用元:アッバース朝(アッバースちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%9C%9D-26046

750~1258年までアッバース家のカリフ支配が続いたイスラーム帝国。8世紀後半から全盛期となり、北アフリカから中央アジアに及ぶ広大な領域を支配したが、9世紀なかごろから地方に独立政権が生まれ、イベリア半島・エジプトにもカリフが分立した。バグダードでは実権はブワイフ朝の大アミール、セルジューク朝・アイユーブ朝のスルタンに奪われ、カリフ支配は形骸化した。最後はモンゴルのフラグによって滅ぼされた。

 ウマイヤ朝に続く、イスラーム帝国の全盛期の王朝。750年から1258年までの長期にわたり、イスラーム世界を統治するカリフの地位をアッバース家が世襲した。都は第2代マンスールから現イラクのバグダード。ウマイヤ朝のアラブ至上主義が、アラブ人以外のイスラーム教徒の反発を強め、また彼らの中に反体制派のシーア派が生まれ、不満が高まったことを背景にしてアッバース家のクーデターが成功して成立した王朝。この変革をアッバース革命ということもある。

アッバース朝の滅亡

 モンゴル帝国はモンケ=ハンの時、フラグに率いさせて、西方への遠征軍を派遣した。モンゴル軍は1258年にバクダードを占領し、10万人(一説によると80万人)が殺害された。アッバース家のカリフ、ムスターシムもモンゴル軍の手にかかり殺害された。これによって750年に始まるアッバース朝は名実ともに約500年で滅亡した。なお、難を逃れたカリフの一族の一人がカイロに逃れ、マムルーク朝の保護を受けることとなる。カリフはカイロのアッバース朝傀儡政権の下で継続するが、スンナ派世界の指導的権威を失い、実質的にカリフ制度は終わりを告げた。後にオスマン帝国において、スルタン=カリフ制として復活するが、それは名目的なものであった。
引用元:アッバース朝 https://www.y-history.net/appendix/wh0501-045.html