【アカプルコ】慶長遣欧使節

1613年に浦賀を出発した
支倉常長率いる慶長遣欧使節が
到着したメキシコの都市は
アカプルコである
◯(答)
49%


次のうち
天正遣欧少年使節団が謁見した
ローマ教皇を全て選びなさい
グレゴリウス13世(答)
ウルバヌス7世 
シクストゥス5世(答)
インノケンティウス9世
ピウス4世

一問多答
次の天正遣欧少年使節団のメンバーのうち副使だった者を全て選びなさい
原マルティノ(答)
中浦ジュリアン(答)
伊東マンショ
千々石ミゲル

伊達政宗が支倉常長を使節としてメキシコ、スペイン、ローマ教皇に派遣した。1613年に出発し、1620年に帰国したが目的は達成できなかった。

仙台藩主伊達政宗は、1613(慶長18)年9月、メキシコとの通商の開始、さらにスペインとの同盟締結をめざし、家臣の支倉常長らを派遣した。一行は支倉以下の日本人と、政宗に使節派遣を提案したフランシスコ会の宣教師ルイス=ソテロらスペイン人あわせて180人であった。使節団の乗船サン=ファン=バウティスタ号は仙台藩の月ノ浦で日本人の船大工が建造した。月ノ浦を出航した使節は、太平洋を横断してアカプルコに上陸、常長ら31名がメキシコを経由してスペインに赴き、マドリードで国王フェリペ3世に面会した。スペイン王フェリペ3世は通商を認めなかったため、ローマ教皇からスペイン王を動かしてもらうためにローマまで行った。その間、支倉らの何名かはカトリックの洗礼を受けて信者となった。1615年11月、教皇パウロ5世に謁見したが、天正少年使節と異なり、正式なものではなかった。結局、ローマ教皇からの働きかけも得られず、スペインに戻り、なおも国王への面会を求めたが果たせず、1620年にマニラを経由して長崎に帰着した。<以下は、大泉光一『支倉常長』1999 中公新書 による>
引用元:慶長遣欧使節/支倉常長 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-115_1.html