天橋立

『小倉百人一首』の
小式部内侍の和歌に
読まれている名所は?
(画像選択肢)
A宮島
B天橋立(答)
84%

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静岡県の堂ヶ島などに見られる
海底の砂が流れに運ばれ水面上に
現れた、離れ小島を本土に結ぶ
砂州を何という?
ボーイロン
ラコムルト
トンボロ(答)
「陸繋砂州」
引用元:「ウバーレ」石灰岩地域の大きな凹地 ドリーネが結合 「トンボロ」陸繋砂州 https://seethefun.net/%e7%a4%be%e4%bc%9a/14046/

小式部内侍 こしきぶの-ないし
?-1025 平安時代中期の歌人。
橘道貞(たちばなの-みちさだ)・和泉(いずみ)式部の娘。母とともに中宮彰子(上東門院)につかえる。宮中の歌会で藤原定頼に「丹後(京都府)にすむ母に代作をたのむ使いをやったか」と皮肉られたとき,即座に「大江山」の歌をよんで,やりこめた。藤原教通(のりみち)の子,ついで藤原公成(きんなり)の子を生んだ。「後拾遺和歌集」などに歌がある。万寿2年11月死去。
【格言など】大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天(あま)の橋立(「小倉百人一首」)
引用元:小式部内侍(こしきぶのないし)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%BC%8F%E9%83%A8%E5%86%85%E4%BE%8D-64686

若狭湾の西端丹後半島の東南部に位置し、宮津湾と阿蘇海を二分しているのが天橋立です。

 天橋立は延長3.2キロメートル(大天橋、小天橋)、幅20から170メートルの砂嘴(さし)によって形成されており、これが宮津湾と阿蘇海を分断しており、文珠の切戸(きれと)と文珠水路によってかずかに両水面が通じています。天橋立公園は、大天橋、小天橋、第2小天橋とこの天橋立が展望できる傘松の4地区からなっています。(砂嘴とは:沿岸流や波浪によって運ばれた砂礫(されき)が海岸や湖岸から細長く突堤状に堆積してできた地形。静岡県の三保の松原などはその例。)

 天橋立の成因は、世屋川をはじめとする丹後半島東岸の河川から流出した砂礫が沿岸流で南下し、野田川の流入で生じる阿蘇海の東流が南下流の側面に当たり、江尻よりほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積し、約4千年前に天橋立が海面に現れたものと推定されています。

 宮津湾を囲むように位置する山並みは、成相寺北側の鼓ヶ岳(つつみがたけ)(標高569メートル)を最高として、おおよそ150メートルから300メートル級の丘陵によって構成されています。

 天橋立の由来は、「丹後風土記」によると、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天界と下界を結ぶために、梯子を作って立てておいたが、命(みかど)が寝ている間に海上に倒れ、そのまま一本の細長い陸地になったのが天橋立だと記されています。
引用元:天橋立の概要/京都府ホームページ https://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/hashitate_gaiyo.html

砂嘴(さし、英: sand spit)とは沿岸流により運ばれた漂砂が静水域で堆積して形成される、嘴 (くちばし) 形の地形のことである。

砂嘴が発達して対岸、またはその付近までに至ると砂州と呼ばれる。砂嘴が枝分かれしているような地形は分岐砂嘴と呼ばれる。清水港が分岐砂嘴の好例である。島と繋がった場合、陸繋砂州と呼び、つながった島を陸繋島と言う。

海岸のみならず、湖岸にも形成されることがあり、猪苗代湖の鬼沼、霞ヶ浦の和田岬が好例である[1]。
引用元:砂嘴 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%98%B4