【北京】金、元、明、清

次のうち、現在の北京に
都をおいた中国の王朝を
全て選びなさい

清(答)
金(答)
明(答)
元(答)
西普
37%

金(きん、拼音:Jīn、女真語:Amba-an Ancu-un.svg [amba-an antʃu-un]、1115年 – 1234年)は、金朝(きんちょう)ともいい、中国の北半を支配した女真族の征服王朝。

国姓は完顔氏。遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国(元)に滅ぼされた。都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。
引用元:金 (王朝) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)

元(げん)は、1271年から1368年まで中国本土とモンゴル高原を中心領域として、東アジアと北アジアを支配した中華王朝であり、東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがるモンゴル帝国の一部、つまりモンゴル人統治下の中国領でもあった。

正式の国号は大元(だいげん)で、元朝(げんちょう)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で国姓は「奇渥温」である。伝統的な用語上では、「モンゴル帝国が中国を支配後、正統な中華帝国になった国」というように認定されたが、視点によって「元は中国ではなく、大元ウルスと呼ばれるモンゴル遊牧民の国」と、様々な意見もある[1]。

中国王朝としての元は、唐崩壊(907年)以来の中国統一王朝であり、大都(現在の中華人民共和国北京)から中国とその冊封国やモンゴル帝国全体を支配し、明(1368年 – 1644年)に追われて北元になってからはモンゴル高原に戻った。中国歴代征服王朝(遼・金・清など)の中でも元だけが「政治制度・民族運営は中国漢民族の伝統体制に同化されず、モンゴル帝国から受け継がれた遊牧国家の特有性も強く持つ」のような統治法を行った。一方、後述するように行政制度や経済運営の特徴は南宋の仕組みをほぼそのまま継承している。
引用元:元 (王朝) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)

1368年、朱元璋が建国した漢民族の王朝。靖難の役で実権を握り、1402年に皇帝となった永楽帝の時代、都を南京から北京に遷し、紫禁城を造営し、全盛期となる。皇帝専制体制を作り上げ、経済も発展し、漢民族の文化が隆盛期を迎え、広大な朝貢世界を支配した。15世紀後半からモンゴル人の侵攻を受け、16世紀には北虜南倭に苦しみ、次第に衰退。17世紀には北東から清の侵攻を受け、1644年に李自成の反乱によって滅亡する。
引用元:明 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-004.html

しん【清】

中国最後の王朝。1616年、女真族のヌルハチ(太祖)が明を滅ぼし、国号を後金として建国。1636年、2代太宗が国号を清と改称。都を瀋陽から北京に移した。康熙・乾隆両帝のとき全盛。19世紀に入って欧米列強の侵略や、太平天国などの農民反乱により衰退。1912年、辛亥革命によって滅亡した。
引用元:清(しん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85-81292

*一応各王朝との対応も書いておくと次のようになります。

① 周: 鎬京(西周)→洛邑(東周)
② 秦: 咸陽
③ 漢: 長安→洛陽
④ 魏: 洛陽
⑤ 晋: 洛陽(西晋)→建康(東晋) [南朝]
⑥ 北魏: (平城→)洛陽 [北朝]
⑦ 隋: 大興(城)
⑧ 唐: 長安
⑨ 五代: 汴州(べんしゅう)
⑩ 宋: 開封(かいほう)(北宋)→臨安(南宋)
⑪ 元: 大都
⑫ 明: 金陵→北京
⑬ 清: 北京
引用元:中国王朝の首都【早覚え完成】 http://batarikingyo.com/tyugoku-outyou-shuto/