中村汀女、三橋鷹女、橋本多佳子、星野立子

次の文字列を組み合わせて
戦前に「4T」と呼ばれた
女性俳人の名前にしなさい
中村───汀女
三橋───鷹女
橋本───多佳子
星野───立子
25%

なかむらていじょ【中村汀女】
1900‐88(明治33‐昭和63)
俳人。熊本市生れ。本名は破魔子(はまこ)。1918年から俳句を書きはじめ,32年に高浜虚子に師事,《ホトトギス》の婦人句会で活躍した。〈とゞまればあたりにふゆる蜻蛉(とんぼ)かな〉〈咳の子のなぞなぞあそびきりもなや〉などを収めた《春雪》(1940)は,星野立子句集《鎌倉》(1940)とともに虚子に称賛され,虚子門の代表的女流となった。日常生活に根ざしたのびのびした感性とさわやかな抒情に特色があり,〈たんぽゝや日はいつまでも大空に〉(《春雪》),〈外(と)にも出よ触るるばかりに春の月〉(《花影》1948)などがその代表作。
引用元:中村汀女(なかむら ていじょ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%B1%80%E5%A5%B3-17106

三橋鷹女 みつはし-たかじょ

1899-1972 昭和時代の俳人。
明治32年12月24日生まれ。原石鼎(せきてい)の「鹿火屋(かびや)」に入会,のち「鶏頭陣」「紺」などに参加。後年は「俳句評論」顧問。口語を駆使した奔放な作風を開拓。中村汀女(ていじょ),星野立子,橋本多佳子とともに4Tとよばれた。昭和47年4月7日死去。72歳。千葉県出身。成田高女卒。本名はたか子。別号に東文恵。句集に「白骨」など。
【格言など】白露や死んでゆく日も帯締めて(「白骨」)
引用元:三橋鷹女(みつはし たかじょ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E9%B7%B9%E5%A5%B3-1112775

橋本多佳子
はしもとたかこ
(1899―1963)
俳人。東京生まれ。本名多満(たま)。旧姓山谷。1917年(大正6)橋本豊次郎と結婚、のち小倉(こくら)に住む。22年(大正11)より俳句を志し、杉田久女(ひさじょ)の手ほどきを受ける。『ホトトギス』『馬酔木(あしび)』を経て、山口誓子(せいし)に師事、『天狼(てんろう)』創刊に同人として参加。48年『七曜(しちよう)』を創刊主宰。「男の道を歩く稀(まれ)な女性作家」といわれ、個性的な嘆きや寂寥(せきりょう)感を力強く表現した。句集に『海燕(うみつばめ)』(1941)、『信濃(しなの)』(1947)、『紅絲(こうし)』(1951)などがある。[鷹羽狩行]
 蛍籠(ほたるかご)昏(くら)ければ揺(ゆ)り炎(も)えたたす
『『橋本多佳子全句集』全1巻(1976・立風書房) ▽『増補現代俳句大系6・8』(1981・角川書店)』
引用元:橋本多佳子(はしもと たかこ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E4%BD%B3%E5%AD%90-14727

星野立子 ほしの-たつこ

1903-1984 昭和時代の俳人。
明治36年11月15日生まれ。高浜虚子(きょし)の次女。父に師事し,杉田久女(ひさじょ),中村汀女(ていじょ)らとならぶ女性俳人として知られる。昭和5年俳誌「玉藻(たまも)」を創刊,主宰。「ホトトギス」同人。句集「立子句集」「笹目(ささめ)」などのほか,随筆集もおおい。昭和59年3月3日死去。80歳。東京出身。東京女子大高等学部卒。
【格言など】滝見茶屋大鉄瓶のたぎりをり
引用元:星野立子(ほしの たつこ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%98%9F%E9%87%8E%E7%AB%8B%E5%AD%90-14961

阿波野青畝 あわの-せいほ

1899-1992 大正-平成時代の俳人。
明治32年2月10日生まれ。原田浜人(ひんじん),高浜虚子に師事し,水原秋桜子,山口誓子,高野素十(すじゅう)とともに「ホトトギス派の4S」といわれる。昭和4年俳誌「かつらぎ」を創刊,主宰した。48年蛇笏(だこつ)賞,平成4年日本詩歌文学館賞。平成4年12月22日死去。93歳。奈良県出身。畝傍(うねび)中学卒。旧姓は橋本。本名は敏雄。句集に「万両」「春の鳶(とび)」「甲子園」など。
【格言など】白魚は仮名ちるごとく煮えにけり(「西湖」)
引用元:阿波野青畝(あわの せいほ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E9%87%8E%E9%9D%92%E7%95%9D-14469