アッバース朝、セルジューク朝、ホラズム朝


中央アジアに栄えた
次の王朝を
早く成立した順に選びなさい
アッバース朝
サーマン朝
セルジューク朝
ホラズム朝
40%
あいうえお順?


引用元:イスラム王朝 – 世界の歴史まっぷ https://www.sekainorekisi.com/my_keywords/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%8E%8B%E6%9C%9D/

750~1258年までアッバース家のカリフ支配が続いたイスラーム帝国。8世紀後半から全盛期となり、北アフリカから中央アジアに及ぶ広大な領域を支配したが、9世紀なかごろから地方に独立政権が生まれ、イベリア半島・エジプトにもカリフが分立した。バグダードでは実権はブワイフ朝の大アミール、セルジューク朝・アイユーブ朝のスルタンに奪われ、カリフ支配は形骸化した。最後はモンゴルのフラグによって滅ぼされた。

 ウマイヤ朝に続く、イスラーム帝国の全盛期の王朝。750年から1258年までの長期にわたり、イスラーム世界を統治するカリフの地位をアッバース家が世襲した。都は第2代マンスールから現イラクのバグダード。ウマイヤ朝のアラブ至上主義が、アラブ人以外のイスラーム教徒の反発を強め、また彼らの中に反体制派のシーア派が生まれ、不満が高まったことを背景にしてアッバース家のクーデターが成功して成立した王朝。この変革をアッバース革命ということもある。
引用元:アッバース朝 https://www.y-history.net/appendix/wh0501-045.html

9世紀に中央アジアに生まれたイラン系の最初のイスラーム政権。ブハラを都にイラン=イスラーム文化を開花させた。

イスマーイール=サマーニーの廟
ウズベキスタンのブハラに残るイスマーイール=サマーニー廟。中央アジアでもっとも古いイスラーム建築。
 9~10世紀に中央アジアのマー=ワラー=アンナフル(イスラーム以前のソグディアナ)地方を支配したイラン人系のイスラーム政権。中央アジアにおける最初のイスラーム政権であった。
 8世紀後半にアム川の南のバルフ地方にいたイラン系地主(ディフカーン)のひとりサーマーン=フダーがアラブ人からイスラーム教を受容し、その一族は代々、アッバース朝カリフから重用され、9世紀初めに西トルキスタンの支配権を認められて、875年にアッバース朝を宗主国として事実上の独立国家となってブハラを都に建国した。
 サーマーン朝は現在のウスベキスタン、トルクメニスタンを支配し、9世紀末にはイラン東部のサッファール朝(イラン人の建国したイスラーム王朝)を倒して勢力をイラン高原に及ぼした。中央アジアからトルコ人奴隷をマムルークとして購入し、イスラーム世界に輸出することで収入源にしていた。
 またサーマーン朝は古来のイラン文化とイスラーム文化を融合させイラン=イスラーム文化を創出したことが重要で、首都ブハラで従来のソグド文字などに代わり、アラブ文字を用いた新しいペルシア語が発達し、詩人のルダキーやハディースの編纂で知られるブハーリーが活躍した。イスラーム文化を代表するイブン=シーナーは、サーマーン朝時代のブハラで生まれたイラン人である。
 首都ブハラはイスラーム神学や法学の中心地として栄えていく。またサマルカンド、メルヴが商業都市として繁栄した。10世紀中頃から衰え、999年に東方から移動してきたトルコ系カラ=ハン朝によって滅ぼされた。
引用元:サーマーン朝 https://www.y-history.net/appendix/wh0501-061.html

中央アジア起源のトルコ人イスラーム政権。11世紀に大移動を行い、西アジアに入り、1055年にバグダードを占領、ブワイフ朝を倒しカリフからスルタンの称号を与えられる。1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ軍を破り、小アジアに進出。小アジアのトルコ化の第一歩となった。その西アジアへの進出は、ヨーロッパのキリスト教世界に大きな脅威を与え、十字軍の発端となった。その後、いくつかの地域政権に分裂、十字軍とモンゴルの侵攻があって、13世紀には消滅した。

 セルジューク族はもとはオグズ族といわれるトルコ系民族で、アラル海に注ぐシル川の下流(現在のカザフスタン)にいた。スンナ派イスラームを信奉し、はじめガズナ朝に服していたが、トゥグリル=ベクがニーシャープールで自立し、1038年に建国。セルジュークは一族の伝説的な始祖の名前からきた。
引用元:セルジューク朝 https://www.y-history.net/appendix/wh0502-004.html

西トルキスタンにあったトルコ系国家。イスラーム化し、13世紀には中央アジアで最も栄えたが、チンギス=ハンに征服され、1231年に滅亡した。

 12世紀末に西トルキスタンのアム川下流域に勃興して大国となったが、モンゴルによって滅ぼされたトルコ系民族のイスラーム教国。ホラズムというのは中央アジアのアラル海にそそぐアム川の下流域地方を示す地名。アラビア語ではフワーリズム(川の向こうの地という意味のマー=アワー=アンナフルともいう)。8世紀以降イスラーム化し、1077年、セルジューク朝のトルコ人マムルーク(トルコ人奴隷)、アヌシュ=テギンがこの地の総督に任命され、ホラズム=シャーを称する。
引用元:ホラズム https://www.y-history.net/appendix/wh0403-008.html