【証拠の阿弥陀】勝林院


京都市左京区大原にある寺院
平安時代に円仁が創建
証拠の阿弥陀
法然と顕真の大原問答で有名
寂光院
三千院
来迎院
勝林院(答)
35%


千年の姫小松、汀の桜
聖徳太子が創建
京都市左京区大原にある寺院
建礼門院が隠れ住んだ場所
寂光院(答)

連想
京都市左京区大原にある寺院
天台宗の三門跡寺院の一つ
延暦寺の別院として創建
1966年のヒット曲『女ひとり』
三千院(答)

連想
京都市左京区大原にある寺院
近くには音無の滝
平安時代に円仁が創建
日本霊異記の現存最古本を所蔵
来迎院(答)

連想
京都市左京区大原にある寺院
盤垣園、鶴亀庭園、宝楽園
樹齢700年を超える五葉の松
鳥羽伏見の戦い跡の血天井
宝泉院(答)

連想
編鐘など多くの楽器が陳列
京都市左京区大原にある寺院
不断桜や紅葉で有名
庭園・契心園、茶室・理覚庵
実光院(答)

勝林院(しょうりんいん)は、京都府京都市左京区大原三千院の北にある天台宗の寺院。魚山大原寺勝林院(ぎょざんだいげんじしょうりんいん)と号する[1][2]。魚山は大原の円融院、往生極楽院、勝林院、来迎院、融通念仏寺などの諸寺院の汎称で[3]、声明の中心地であった中国の長安の外にある山東省に所在する声明の聖地「魚山」の名称に由来する[4][5]。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊跡第21番札所。別称として「問答寺」、「証拠堂」とも呼ばれる。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であった。

歴史
この寺は、承和2年(835年)、円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後寺は荒廃してしまう。

長和2年(1013年)、寂源によって復興され、勝林院が建立された。その際、寂源はここを声明研鑽の地としたので声明も復興された。聖応太師良忍が天仁2年(1109年)に来迎院を再興すると、勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て「魚山大原寺」と総称されるようになった。以来、大原で伝承されてきた声明は「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれる。

大原問答
寛仁4年(1020年)、寂源が延暦寺の僧である覚超と遍救を招請して、勝林院の本堂で法華八講を開いた。大原入道少将と呼ばれた寂源の名前にちなんで、これを「大原談義」と称した。この時、本尊が自身の意を放光によって表したので、集まった聴衆が大いに驚いたという。それより、本尊は「証拠の阿弥陀」と称されるようになった。
文治2年(1186年)、顕真の招請により、勝林院で法然が浄土宗義について明遍、証真、貞慶、智海、重源らと一昼夜にわたっての問答が行われた。これを「大原問答」という。顕真らが法然に12の難問を投げかけていったものであるが、法然はそれらに対して念仏によって極楽浄土へ往生できることをはっきりと示した。その時に、本尊の阿弥陀如来が光を放って法然の主張が正しいことを証明してみせたという。そのため本堂も「証拠堂」と呼ばれるようになった。
念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生できることを知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けた。なかでも重源は翌日には自らを「南無阿弥陀仏」と号して法然に師事した[7]。
引用元:勝林院 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%9E%97%E9%99%A2

勝林院
shourinninn
寂源法師が長和2年(1013)に開かれた日本音楽の源である天台声明発祥の寺である。

本尊は「大原問答」の時手から光明を放ち法然が正しい証拠を示したとされる”証拠の阿弥陀”踏出阿弥陀如来、他にも十一面観音菩薩像、普賢菩薩像、法然上人御木像が祀られている。梵鐘(無銘)は藤原時代からのもので重要文化財になっている。
引用元:勝林院 | 京都 大原観光保勝会 http://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/%E3%81%8A%E5%AF%BA%E3%83%BB%E5%8F%B2%E8%B7%A1/%E5%8B%9D%E6%9E%97%E9%99%A2/

じゃっこういん【寂光院】
京都市左京区大原にある天台宗の尼寺。寺伝では聖徳太子の創建という。平家滅亡後,建礼門院が当地に隠棲して一門の菩提を弔い,これを哀れんだ後白河法皇が臨幸した平家の哀話は,《平家物語》や能の《大原御幸(おはらごこう)》によって名高い。寺境は閑静で,境内にはいまも《平家物語》にちなむ種々の旧跡が残り,寺の背後に建礼門院陵(大原西陵)がある。本堂には本尊地蔵菩薩のほか,建礼門院木像,平家一門の手紙で造られたという阿波内侍(あわのないし)張子像などが安置されている。
引用元:寂光院(じゃっこういん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%AF%82%E5%85%89%E9%99%A2-76071

三千院
さんぜんいん

京都府京都市左京区大原にある天台宗門跡寺院。初め最澄が比叡山東塔に三千院円融房を建てたと伝えるが,のち東坂本梶井里に移り,さらに明治維新後当地に移った。本尊の『阿弥陀三尊』の脇侍『勢至菩薩像』は,来迎形式の彫刻として最古の仏像。庭は紅葉で名高い。
引用元:三千院(さんぜんいん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%8D%83%E9%99%A2-70934

女ひとり
永 六輔 作詞
いずみたく 作曲

京都大原三千院
恋に疲れた女が一人

引用元:京都 大原 三千里~~~~~この続きを教えて下さいそれとこ… – Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111155711

来迎院
らいごういん

京都市左京区大原にある天台宗の寺。魚山と号し,大原寺ともいう。仁寿年間 (851~854) に円仁が中国天台山の一峰の名を移して天台声明の本拠とした。その後,融通念仏宗祖の良忍が中興した。門弟相次いで声明音律を伝え,勝林院の流とあわせて大原二流と称された。現存最古の『日本霊異記』 (2帖) などの国宝を蔵する。
引用元:来迎院(らいごういん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E9%99%A2-146702

宝泉院(ほうせんいん)は、京都府京都市左京区大原勝林院町にある天台宗の寺院。山号は魚山、本尊を阿弥陀如来とし、実光院とともに大原寺勝林院の僧坊の一つである[1]。天台宗の三門跡寺院の1つである三千院の参道奥にある。

庭園
盤桓園(ばんかんえん)、鶴亀庭園、宝楽園(ほうらくえん)という3つの庭園を有する。盤桓園は「立ち去りがたい」という意味を持ち、書院の柱や鴨居を額に見立てて鑑賞することから、「額縁庭園」という名でも親しまれている[5]。樹齢約700年の「五葉の松」は京都市天然記念物であり、三上山(近江富士)を象ったとされている[5]。高浜虚子はこの松を「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだ[6]。拝観客は、盤桓園・五葉の松の見える座敷に通され、境内入口で渡されたお抹茶券と交換に一服の抹茶と茶菓子を供される。

玄関の左側には江戸時代中期に作られた鶴亀庭園があり、池と蓬莱山を象った亀石が配置されている[5]。鶴亀庭園には樹齢300年の沙羅双樹が植わっている[5]。

2005年(平成17年)3月には枯山水庭園の宝楽園が完成した。庭園作家の園冶(えんや)が造園し、山形県や長野県などから約300トンの石を運んでいる[7]。
引用元:宝泉院 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B3%89%E9%99%A2

実光院(じっこういん)は、三千院の奥にある[2]、京都府京都市左京区大原勝林院町に位置する天台宗の寺院[3]。勝林院の子院として建立された[2]。

不断桜
池泉回遊式の庭園に不断桜が植えられている[2]。不断桜は樹齢約百年と言われ、十月初旬に開花し、十一月中頃に満開を迎える。四月初めに再び満開になる[9]。
引用元:実光院 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%85%89%E9%99%A2