あのうしゅう



安土桃山時代に活躍した
寺や城の石垣を作った職人
穴太衆
あのうしゅう(答)
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穴太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である。石工衆(いしくしゅう)、石垣職人(いしがきしょくにん)とも称す。「穴太」の歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」である。

概要
穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。

現代でも、坂本の町に多数立ち並ぶ「里坊(さとぼう)[1]」と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は、彼らの組んだ石垣で囲まれ、町並みに特徴を与えている。
引用元:穴太衆 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%A4%AA%E8%A1%86

こうして、日本の風土に適した石積み技術が確立されていくわけだが、その名声を高める契機となったのが、あの有名な織田信長の「比叡山の焼き討ち」である。信長は焼き討ち後、再興の目を徹底的に潰すため、臣下の丹羽長秀に焼け残った石垣などの打ちこわしを命じる。しかし、延暦寺伽藍の石垣は、なんとも頑丈すぎてなかなか壊すことができない。それを信長に進言すると、信長は後世で城の歴史を変えたと言われる名城「安土城」の築城に「穴太衆」を召し抱えたのだという。

信長の穴太衆の起用を目にした大名たちは、築城に際して「穴太衆」を求めるようになった。さらに穴太衆は「織田―豊臣―徳川」と時代の頂点を極めた権力者から庇護されながら全国に散らばっていった。

穴太衆積みで作られた城は枚挙に暇がない。一例をあげるだけでも、いまや天空の城として注目を集める「但馬竹田城」、「姫路城」に「伊賀上野城」、「大阪城」や「名古屋城」、そして「江戸城」の石垣にも穴太の手が入っている。

ジェット機1台分、250トンの加圧に耐える穴太の技
では一体、穴太の技術はどれほど凄いのだろうか。まず考えてみてほしい。現代の技術であれば支柱に鉄柵を入れてコンクリートを積み上げて強度を出すことは簡単だ。しかし、穴太の技術は漆喰などの接着剤を用いずに、単に自然石を積み上げただけ。高さを誇る石垣では篠山城の21mという記録もある。これはビルでいえば7階建てに匹敵する。それほどの高さの建造物を自然石を組み上げただけで完成させ、何百年も持たせてしまうことを考えれば、素人でもその技術力の高さを感じることができるはずだ。

大学で土木を専攻したという粟田氏は「穴太の技術は非常に理にかなったもの」とする。穴太の石組というのは、簡単に言ってしまえば、大きな石と小さな石を点在させながらバランスよく組み立てるのが肝となるそうだ。しかも、奥行きのある石を使い、裏手には「ぐり石」と呼ばれる小石を組み上げる。

「この大きな石と小さな石がバランスを保つことで、例えば、震度の伝わり方を変え、地震でも崩れない石垣になります。地震の揺れは、大きな石には当然大きな力が加わります。ですが、そこに小さな石が入っていることで、緩衝材のような働きをして揺れを逃がす“遊び”ができます。先ほどお話ししたように接着剤となる漆喰などを使っていないので、水はけもよく風雨にも強い。よくぞ先人達はこのような技術を編み出したと関心します。それこそ何度も造っては失敗を改善し、智慧を絞ったのでしょう」(粟田氏)

検証方法は、幅15m、高さ3.5mでそれぞれ穴太衆積とコンクリートブロックの擁壁をつくり、上部と背後から積荷装置で土圧をかけて変化を測定するというもの。実証現場は注目を集め土木の専門家など多くの見学者に見守られた。

実験前は「コンクリートが強いのが当たり前や」という声が聞こえ漏れていたというが、加圧が始まると、200トンの加圧でコンクリートブロックにはクラックが入り、220トンになると、勾配の傾斜が厳しくなったという。結局コンクリート側は、これ以上の加圧は崩壊の危険があると、220トンで実験がストップされた。一方、穴太衆積みは、200トンはもちろん、220トンの加圧でも2、3カ所に小規模の孕みが出たのみ。230、240トンと加圧を順調に加えたところ250トンでなんと集荷装置が加圧に耐え切れずズレてしまったという。ここで実験は終了となったが、250トンと言えばジェット機一台分にもなる重さ。穴太衆積みの技術力の高さ実証された瞬間だった。

「うちの若い衆は、それは“どうや”と誇らしげでした。私も経験則としては感じていましたが、きちんと実証結果が出たことは嬉しかったです」(粟田氏)

頭で考えるな「石の声を聴け」

先代の言葉に考え直した純司氏は、大学卒業と同時に家業を継ぎ、現場に足を運んだ。そこで先代に言われたのは「石の声を聴け」という教えだった。穴太の石の積み方は独特で、集積場に石を集めるとまずそこで1日、2日じっくりと石を眺め、頭の中で全体の構造を描いて石垣を組んでいくという。集積場から石垣に移した際に大きさにブレがある場合はノミで削ったりもするが、基本的には自然石そのままを据えた方が落ち着きが出ると粟田氏は言う。

「最初はね、“石の声を聴け”なんて言われてもなんだか分からない。こっちはメジャーを持って石を測っては石垣に押し込んだりしてたんですわ。でも親父の場合は、集積場で石をじっと眺めては“はい、これそっちに持ってって”とはめるとストンと収まる。『親父なんで分かるの』と聞くと『わしは石と話している』というんですよ。なんのこっちゃと思ってましたが、自分が11年目の時に、安土城の修復を任されました。いつもだったらメジャーで測るのですが、その時は集積場で石をみていると、何度も目につく石がある。それであの石持ってこいって現場に運んだらストンと合いました。なんだかね、石が“ワシを使え”と手を挙げているように感じたんですよ。ああ、これが親父の言ってた石の声を聴くということなんか、と思いました」(粟田氏)

“石の声”を聴いた方が圧倒的に現場はスムーズに動くという。まさに職人の技、経験だけが到達できる究極の世界がそれなのだ。
引用元:信長も重用した伝説の石工「穴太衆」―現代に奇蹟の技をつなぐ“超”技術集団とは? | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】 https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00542/