するすみ


宇治川の先陣争いで
梶原景季が乗った名馬
磨墨
するすみ(答)
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磨墨塚(するすみづか)とは、梶原景季の愛馬の墓とされている塚である。日本各地に存在するものの、本項では東京都大田区南馬込のものを中心に解説する。

概要
磨墨は梶原景季の愛馬であり名馬として知られた。磨墨に乗った景季は、1184年(寿永3)の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月(いけづき)に乗る佐々木高綱と先陣を争った(宇治川の先陣争い)。磨墨を葬った場所と称する所は日本各地にあり、東京都大田区南馬込3-18-21 にも磨墨塚と称す塚がある。

現在塚上には、地元篤志家が建立した顕彰碑があり、塚の周囲には江戸時代の馬頭観音の石碑なども残り、馬に関わる場所として古くから知られていた事は確かなようだ。塚の付近には磨墨が落命したという「駒落ノ谷」や、死期の迫った磨墨が鐙を落とした「鐙谷」に由来する「鐙坂」(坂自体は大正頃の区画整理による)がある[1]。
引用元:磨墨塚 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%A2%A8%E5%A1%9A

うじがわのせんじん【宇治川の先陣】

1184年の宇治川の戦いで、源義経側の佐々木高綱と梶原景季が源頼朝から与えられた名馬生唼いけずき・磨墨するすみに乗って、宇治川を渡る先陣争いをしたこと。「平家物語」や「源平盛衰記」にみえる。
引用元:宇治川の先陣(うじがわのせんじん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E5%B7%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E9%99%A3-209707