寂蓮法師


『小倉百人一首』の「村雨の
露もまだひぬまきの葉に
霧立のぼる秋の夕ぐれ」
という和歌の作者は?
僧正遍昭 「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」
喜撰法師 「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」
寂蓮法師(答)
式子内親王 「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
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じゃくれんほうし
寂蓮法師 坊主
(?-1202) 俗名は藤原定長。俊成の兄弟・阿闍梨俊海の息子。俊成の養子となるが、後に出家した。

村雨の
つゆもまだひぬ
露もまだひぬ
まきのはに
まきの葉に

下の句
きりたちのぼる
霧立ちのぼる
あきのゆふぐれ
秋の夕暮れ
部立
四季(秋)
出典
新古今集
主題
霧が立ちのぼる秋の夕暮れの、静かで心寂しい情景
歌意
にわか雨のしずくがまだ乾かずにとどまって輝いている針葉樹(杉や檜)の葉に、霧が谷間から涌き上がってくる秋の夕暮れの光景よ。
引用元:小倉百人一首の全首を見る|小倉百人一首殿堂 時雨殿 https://www.shigureden.or.jp/about/database_03.html?id=87

寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)? – 1202年8月9日(建仁2年7月20日))は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。

評価
後鳥羽院は、後鳥羽院御口伝において、「寂連は、なをざりならず歌詠みし物なり」、「折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」と様々な才能を絶賛している。また、鴨長明は無名抄の中で、世間では藤原隆信とは一対に評価されているが、六百番歌合の際、寂蓮は出家していて、時間的に余裕が出来ていたので、「たとしへなく勝りたりければ、其時より寂蓮左右なしといふ事になりにき」と評価が上がったとし、また、三体和歌において、長明自身の出詠歌を事前に見せた時に、同じ様な「高間の桜」を詠出していたが、文句も言わず「いと有難き心也かし」と人間性も評価している。 後の世において、新古今和歌集秋歌上の中の結句が「秋の夕暮」の三首並んだ、西行、定家と寂蓮の「さびしさは」を三夕と称し、茶具の銘などとしている。
引用元:寂蓮 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%82%E8%93%AE