エリザベス2世


次のうち、イギリス
ウィンザー朝の国王を
全て選びなさい
ジョージ4世
エリザベス2世(答)
ウィリアム4世
エドワード8世
ジョージ5世(答)
ジョージ6世(答)
ヘンリー8世
アン王女
33%


次のうちイギリス
ハノーバー朝の国王を
全て選びなさい
ヴィクトリア王女(答)
ジョージ1世(答)
ウィリアム4世(答)

一問多答
次のうち、イギリス
プランタジネット朝の
国王を全て選びなさい
エドワード1世(答)
ヘンリー2世(答)

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次のうち
イギリス・スチュワート朝の
国王を全て選びなさい
リチャード1世 プランタジネット朝
ジェームズ1世◯
メアリー2世◯

ウィリアム3世◯
チャールズ1世◯
ヘンリー3世 プランタジネット朝
エドワード1世 プランタジネット朝
ジョージ1世 ハノーバー朝
29%
引用元:「プランタジネット朝」エドワード1世「模範議会」招集・別名「長脛王」『ブレイブハート』敵役 「スチュワート朝」チャールズ1世 ジェームズ1世 ウィリアム3世 メアリー2世 アン王女 https://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/7884/

順番当て
次のイギリスの王朝を早く成立した順に選びなさい
プランタジネット朝
ランカスター朝
ヨーク朝
テューダー朝
ステュアート朝
ハノーバー朝
ウィンザー朝

プランタジネット朝
プランタジネットちょう
Plantagenet Dynasty

イギリスの王朝 (1154~1399) 。フランスのアンジュー伯ジョフロアの子ヘンリー2世 (在位 1154~89) が始祖 (母はイングランド王ヘンリー1世の娘マティルダ) 。アンジュー家 (朝) ,アンジュバン家 (朝) とも呼ばれるが,家紋の「エニシダ」 (ラテン名 Planta Genista) にちなんでこの称があるという。ヘンリー2世はフランス内にも広大な領土を有し,また多数の法令を発布して王権を伸張,次いでその子リチャード1世 (在位 89~99) は対フランス戦争,第3次十字軍に参加して武名を揚げたが,不在が多く,国内動揺の因をなした。その弟ジョン (在位 99~1216) は対フランス戦争でフランス内領土の大半を失い,ローマ教皇インノケンチウス3世と争って屈服するなど失政が多く,国内貴族は『マグナ・カルタ』を王に認めさせ,王権は大いに失墜した。その子ヘンリー3世 (在位 16~72) も失政が多く,貴族の内乱を招き,彼らは議会を開いて王権の制限を試みた。議会制度はその子エドワード1世 (在位 72~1307) ,その子エドワード2世 (在位 07~27) ,さらにその子エドワード3世 (在位 27~77) の時代,順調に発展した。またエドワード3世時代には対フランス百年戦争が起り,その子エドワード (黒太子) が武名を揚げたが病死し,王位は黒太子の子リチャード2世 (在位 77~99) に引継がれた。しかし専制のため貴族の不満を招き,ランカスター家のヘンリーが王を捕えて退位させ,みずからヘンリー4世として即位したので,プランタジネット朝の支配は終った。
引用元:プランタジネット朝(プランタジネットちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D-126605

チューダー朝
チューダーちょう
Tudor Dynasty

イギリスの王朝(1485~1603)。北ウェールズの君主の家宰であったエドニフェド(1246没)が家祖。その子孫オーウェン・チューダー(1400頃~61)と国王ヘンリー5世の妃で,王没後結婚したカサリンとの間に生まれた長男エドマンド(1430頃~56)は,1453年リッチモンド伯(→リッチモンド〈伯・公家〉)に叙せられ,1455年王家の遠縁にあたるボーフォート家のマーガレットと結婚し,ヘンリー(のちのヘンリー7世)をもうけた。オーウェンの次子ジャスパー(1431頃~95)はペンブルック伯になり,ウェールズ地方のランカスター派の指導者であったが,1471年テュークスベリーの戦いでランカスター派が最終的に敗北したのち,甥ヘンリーを連れてブルターニュに亡命。1485年8月ヘンリーは叔父とともに南ウェールズに上陸し,ボズワースの戦いでリチャード3世を敗死させ,ヘンリー7世(在位 1485~1509)として即位,王朝を開いた(→バラ戦争)。その次男ヘンリー8世(在位 1509~47)ののち,3人の子,エドワード6世(在位 1547~53),メアリー1世(在位 1553~58),エリザベス1世(在位 1558~1603)が相次いで王位を継承したが,いずれも嗣子がなく,スチュアート朝の成立となった。なお,エドワード6世の死後,レディー・ジェーン・グレー(在位 1553.7.)が陰謀により王位についたが,9日間で廃位された。チューダー朝の時代はイギリスの絶対主義時代にあたり,中世を脱して近代国家に発展する基礎が固められた。
引用元:チューダー朝(チューダーちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E6%9C%9D-97528

スチュアート朝
スチュアートちょう
Stuart(Stewart; Steuart) Dynasty

スコットランドとイングランドの王朝 (1371~1714) 。家系は 11世紀のブルターニュに発し,12世紀にブリテン島に渡り,スコットランド王デービッド1世に仕えてその司宰 stewardになった。6代目司宰ウォルター (1326没) は国王ロバート1世ブルースの娘と結婚し,1371年その子ロバートが王位 (ロバート2世〈在位 71~90〉) につき,王家を創始した。以後,ロバート3世 (在位 90~1406) ,ジェームズ1世 (在位 06~37) ,ジェームズ2世 (在位 37~60) ,ジェームズ3世 (在位 60~88) ,ジェームズ4世 (在位 88~1513) ,ジェームズ5世 (在位 13~42) ,メアリー・スチュアート (在位 42~67) と続き,ジェームズ6世 (在位 67~1625) のとき,ジェームズ1世 (在位 03~25) としてイングランド王位を兼ねるにいたった。次のチャールズ1世 (在位 25~49) が清教徒革命によって処刑されたのち一時とだえたが,1660年王政復古によってチャールズ2世 (在位 60~85) が復位し,88年名誉革命によってジェームズ2世 (在位 85~88) が追われたのちはウィリアム3世 (在位 89~1702) とメアリー2世 (在位 1689~94) の共同統治となり,次のアン (在位 1702~14) の時代の 1707年イングランド,スコットランド両国は合同して同君連合状態は終ったが,王統は彼女をもって絶え,ハノーバー朝に代った。共同統治を含めて君主 15人に及んだが,処刑,暗殺,戦死など非業の死をとげた者は6名に達し,イングランド王位を兼ねるまでの9代中未成年で即位した者は7名を数えた。なおハノーバー朝成立後も,ジェームズ2世の子孫 J.F.E.スチュアートと C.E.スチュアートは王位を要求し続けた。
引用元:スチュアート朝(スチュアートちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E6%9C%9D-84123

ハノーバー朝
ハノーバーちょう
Hannover Dynasty

イギリスの王朝(1714~ )。1701年の王位継承法の規定により,1714年アン女王の没後,ハノーバー選帝侯ジョージ1世(在位 1714~27)が即位して創始。ジョージ2世(在位 1727~60),ジョージ3世(在位 1760~1820),ジョージ4世(在位 1820~30),ウィリアム4世(在位 1830~37),ビクトリア(在位 1837~1901)と続き,次のエドワード7世(在位 1901~10)から家名をサックス=コーバーグ=ゴーサ家と改称。さらにジョージ5世(在位 1910~36)治下,第1次世界大戦中の 1917年にウィンザー家と改称。シンプソン夫人との結婚問題のため 1年足らずで退位しウィンザー公となったエドワード8世(在位 1936.1.~12.),その弟ジョージ6世(在位 1936~52),その娘エリザベス2世(在位 1952~ )が継承して今日にいたっている。(→ウィンザー家,ハノーバー家)
引用元:ハノーバー朝(ハノーバーちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E6%9C%9D-115863

ハノーヴァー朝

1714年、イギリスのステュアート朝断絶により、ドイツから国王を迎えた。国王は政治には関与しない責任内閣制が成立した。1901年からサックス=ゴバーグ=ゴータ朝に代わった。

 1701年、ステュアート朝のウィリアム3世の時に制定された王位継承法に基づいて、アン女王が継嗣がなく没したため、1714年にドイツのハノーヴァー選帝侯ジョージがイギリス王ジョージ1世として即位した。ここからハノーヴァー朝という。 → イギリス(6)
 1701年の王位継承法とは、共同統治者であったウィリアム3世とメアリ2世には継嗣が無く、またメアリの次の国王を予定されていたアンの子供も死んでしまっていて、王位継承を巡って争いが起きることが予想されたので継承原則を定めたもので、「ステュアート朝の血を引く、新教徒であること」とされた。それによってジェームズ1世の孫娘ソフィアがドイツのハノーヴァー選帝侯との間にもうけたジョージが王位を継承することになった。

ウィンザー朝

 イギリスの王朝名は、ハノーヴァー朝、サックス=ゴバーグ=ゴータ朝ともにドイツの家系を継承するものであったが、第一次世界大戦が始まった1917年に、ドイツ風の王朝名を改めることとなり、王宮の所在地にちなんだウィンザー朝となった。ジョージ5世(第1次大戦期)、エドワード8世(1936年、愛人問題で王位を放棄した)、ジョージ6世(第2次大戦期、映画『英国王のスピーチ』のモデル)と続き、現在のエリザベス女王(1952~)に至る。
引用元:ハノーヴァー朝/ウィンザー朝 https://www.y-history.net/appendix/wh1001-086.html