ポズナニ


1956年に労働者や学生による
反乱が起きたポーランド西部の
都市は?
ニクワグナ
フラポルズ
ポズナニ(答)
36%

ポーランド反ソ暴動/ポズナニ暴動
1956年、ソ連のスターリン批判を受けてポーランド民衆が自由を要求し決起した。ポズナニ暴動から全国に広がったが、ソ連軍に鎮圧された。

 1956年、ソ連におけるスターリン批判、コミンテルンの解散を受け、ポーランドのポズナニの民衆暴動から始まった反ソ暴動。同年のハンガリー反ソ暴動とともに東ヨーロッパ社会主義圏を動揺させたがソ連軍の圧力により鎮圧された。
 第二次世界大戦後のポーランドでは統一労働者党がソ連の後押しで権力を握り、戦前からの共産主義指導者ゴムウカを民族派として逮捕し、一党独裁体制を固めた。そのもとで集団化と重工業化を進められたが、同時にソ連共産党の独裁的な権力を握ったスターリン体制が押しつけられることとなった。1953年にスターリンが死去すると、ソ連共産党指導部内にも変化が現れた。
ポズナニ暴動

 1956年にソ連共産党でフルシチョフによるスターリン批判が行われ、その個人崇拝や粛清という政治手段、人権抑圧が非難された。ポーランドでもスターリン主義者のビエルト大統領が死去した。このような情勢の中で、6月に西部のポズナニで暴動が起こった。
 ポズナニはポズナンとも表記するポーランド西部の工業都市。1956年6月28日、機関車や鉄道車輌を製作する工場の労働者が待遇改善を要求してデモを行ったところ、市民も加わり、放送局、裁判所、警察署などを襲撃する暴動となり、それがポーランド反ソ暴動の契機となった。
 政府と党は労働者の経営参加などの妥協策を示して収束を図ったが、この暴動を反ソ活動、外国の挑発と見たソ連当局は厳しい弾圧を指示し、ポーランド政府と対立した。
引用元:ポーランド反ソ暴動/ポズナニ暴動 https://www.y-history.net/appendix/wh1602-043.html

ポズナンまたはポズナニ(Poznań・Pl-Poznań.ogg [ˈpɔznaɲ][ヘルプ/ファイル])は、ポーランド西部に位置する、ポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都である。ラテン語名はポスナニア(Posnania)、ドイツ語名はポーゼン(Posen)、イディッシュ語名は פויזן (Poyzn)。ヴィエルコポルスカ県の県都である。人口は約58万人で、これはポーランド5番目の規模である。ポーランド分割後、プロイセン王国に管理され、1871年にはドイツ統一となりドイツ帝国となった。

名称
ポーランド語の「知る(znać)」(この単語は古い時代から変わっていない)の分詞「poznan(y)」からで、意味は「知られている(人、場所、もの)」。したがって、「ポズナニ」の意味は「有名な人の(持つ)街」ないし「有名な街」。
引用元:ポズナン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%B3