ハスキンズ


著書『12世紀ルネサンス』で
12世紀の西欧州で文化活動が
盛んだったことを明らかにした
学者はチャールズ・◯◯◯◯◯?
ョジコマソ
スハキズン
ハスキンズ(答)
18%

十二世紀ルネサンス【新装版】<品切>
THE RENAISSANCE OF THE TWELFTH CENTURY
著者
チャールズ・H・ハスキンズ
訳者
別宮貞徳
訳者
朝倉文市

都市が勃興し、最初の完了国家が形成されつつあった12世紀のラテン的ヨーロッパは、古典古代を再発見した。若々しく、活力に満ちた時代精神に、古代の知的遺産が新しい意味、新しい響きをもった。〈12世紀は他に例を見ないほど創造的な、造形的な時代〉(ホイジンガ)であった。中世史家ハスキンズは、綿密な写本研究と文献学の成果にもとづいて、修道院から大学まで、この中世のルネサンスに営まれた精神生活の諸相を描く。
ラテン語の古典・詩・散文が、遊歴書生の新しい押韻の叙情詩、《カルミナ・ブラーナ》の聖・俗にわたる愛らしい詩に復活し、また変化に富む時代は、伝記、回想録、宮廷編年史、都市の年代記等の多様な歴史記述を産んだ。ローマ法がよみがえり、ギリシア語・ラテン語からの翻訳家の苦心の労作は、哲学と科学の復興をもたらした。学問的制度としては、12世紀は司教座聖堂付属学校の隆盛にはじまり、サレルノ、ボローニャ、パリ、モンペリエ、オックスフォードの最初の大学の確立をもって終わった。
ラテン中世文化の花開いた〈12世紀ルネサンス〉、それはラテン語という国際語の時代、アルプスを越え、海峡を越えて世界と人間を発見する国際文化の時代であった。
引用元:十二世紀ルネサンス【新装版】:みすず書房 https://www.msz.co.jp/book/detail/04917.html

12世紀ルネサンス(じゅうにせいきルネサンス、英語:Renaissance of 12th Century)は、ヨーロッパ中世の12世紀にも、古典文化の復興と、文化の高揚が見られるとして、使われる言葉である。

14世紀頃イタリアでルネサンスの文化運動が始まり、やがて周辺国に影響を及ぼしたとされる。また、ルネサンス以前の中世は暗黒時代とみなされ、中世とルネサンスの間に断絶があると考えられてきた。こうした従来の中世観・ルネサンス観を相対化し、中世と近世、近代の連続性を強調し、中世の再評価を図ろうとするのが12世紀ルネサンス論である。

アメリカの歴史家チャールズ・ホーマー・ハスキンズ(Charles Homer Haskins 1870年-1937年)が『12世紀ルネサンス』(The Renaissance of the twelfth century,1927年)の中で提唱し、現在では様々な面から12世紀の文化が再評価されている。古典の文化がイスラム・ビザンツの文化を経由してヨーロッパに伝えられ、大きな刺激を与えた。また哲学、美術、文学など様々な分野で新しい動きがみられた。
引用元:12世紀ルネサンス – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9

Charles Homer Haskins (December 21, 1870 – May 14, 1937) was a history professor at Harvard University.[1] He was an American historian of the Middle Ages, and advisor to U.S. President Woodrow Wilson. He is widely recognized as the first academic medieval historian in the United States.

Renaissance of the Twelfth Century
Main article: Renaissance of the 12th century

Haskins’ most famous work is The Renaissance of the Twelfth Century (1927). The word “Renaissance,” even to historians of the early 20th century, signified the Italian Renaissance of the 15th century as defined by 19th-century Swiss historian Jakob Burckhardt in his The Civilization of the Renaissance in Italy. Haskins opened a broader view when he asserted, The continuity of history rejects violent contrasts between successive periods, and modern research shows the Middle Ages less dark and less static, the Renaissance less bright and less sudden, than was once supposed. The Italian Renaissance was preceded by similar, if less wide-reaching, movements.
引用元:Charles Homer Haskins – Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Homer_Haskins

十二世紀ルネサンス
じゅうにせいきるねさんす
Renaissance of the 12th century

12世紀ヨーロッパにおける古典古代の学芸の復興を目ざす文化運動。アメリカの中世史家ハスキンズCharles Homer Haskins(1870―1937)が1927年に出版した、これと同名の著書をきっかけとして定着した歴史概念である。
 14~16世紀のイタリアを中心とするいわゆる「ルネサンス」(イタリア・ルネサンス)と同種の文化運動がすでに中世において現象したとする見方は、ハスキンズ以前にもある。彼の著書が出た年の前年にも、H・ナウマンの著作『カロリング朝およびオットー朝ルネサンス』が公刊されている。しかし、これら「複数のルネサンス」は総じて、「暗黒の中世」を背景とする「早咲きの」ルネサンスであったと理解されていた。ハスキンズの見解の革新的意義は、この種の理解の枠組みを打ち破り、「イタリア・ルネサンス」と「十二世紀ルネサンス」という「二つのルネサンス」を想定し、「暗黒の中世」に「晴朗のルネサンス」を対置する従来の考え方の近代主義的偏向に反省を促し、中世文化から近代文化への連続的な展開のうちに「二つのルネサンス」を、ひいては「いくつものルネサンス」を置いてみせたところにある。ハスキンズ自身がその著書の序文で述べているように、たとえばロマネスク、ゴシック様式の宗教美術、あるいはオック語叙情詩やアングロ・ノルマン語の騎士道物語を、古典古代文化の復興現象として説明しようとしてもうまくいかない。そこにはより内発的なものがあって、これを説明するには、11、12世紀の創成の時代、ヨーロッパ内陸社会そのものが一つの独特のタイプの社会として確立されていく全体の動きの脈絡を問わなければならない。したがって中世文化のほうが優位の概念であるとも考えられ、古典古代文化の復興運動は、12世紀ヨーロッパ文化全体のうちに包摂されるべき部分であって、それだけが独立した文化であったわけではない。
引用元:十二世紀ルネサンス(じゅうにせいきるねさんす)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9-1549246

カロリング朝ルネサンス
かろりんぐちょうるねさんす
Carolingian Renaissance英語
Karolingische Renaissanceドイツ語

8世紀末のカール大帝(シャルルマーニュ)の文化・教育奨励に始まるフランク王国における古典文化復興の運動。19世紀以降この名称が一般的に用いられるようになった。カロリング朝ルネサンスは、カール大帝のイニシアティブのもとに始まった、広義の「カロリング朝改革」とよばれる、教会および国家の革新の努力の一環をなすものである。古典古代、とりわけ古代末期の著述家たちの作品に範をとることにより、民族移動以降の教養の衰退を克服することを目標とし、知識、芸術のすべての領域にわたり新しい規範を確立して秩序と統一を回復し、聖職者ならびに一般人民の宗教的、道徳的、精神的教養の向上を図ることを目ざしていた。カール大帝は「一般教書」(789)、「文学奨励に関する書簡」(784~785)、「一般書簡」(786~800)などのなかで、この改革目標を明示している。教養改革の主要な担い手は聖職者であり、アーヘンの宮廷を中心に推進された。ここには、ヨークのアルクインをはじめ、コルビーのアダルハルト、アクィレイアのパウリニス、ロンバルディアのパウルス・ディアコヌス、オルレアンのテオドゥルフ、フランク人のなかからもアインハルトら、帝国各地から学者、芸術家が集まり、宮廷学校、図書館、写本工場が設立された。またこれを模範として各地の教会、修道院にも教育施設が整備された。カール大帝の死後は、ルネサンスの中心は、宮廷から各地の司教座、修道院に移り、コンスタンツ司教座をはじめ、コルバイ、ライヘナウ、ザンクト・ガレンなどの修道院が指導的役割を果たした。
引用元:カロリング朝ルネサンス(かろりんぐちょうるねさんす)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%9C%9D%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9-1519845#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29