徳川義直


「孔子堂」を建立
「蓬左文庫」を創設
徳川家康の九男
尾張徳川家の祖
徳川頼房
徳川義直(答)
徳川宗尹(むねただ)
徳川宗武

徳川 義直(とくがわ よしなお)は、江戸時代初期の大名。徳川家康の9男。尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖である。新陰流第4世。

長じてからは藩政を自ら行ない、灌漑用水の整備、新田開発などを積極的に行なって米の増産に努めた。そのほかにも検地による税制改革などで年貢収納を確立した。

義直は学問を好んで儒教を奨励し、孔子堂の建立や城内の尾張東照宮の建築を進めた。また、家康の形見分けで受け継いだ「駿河御譲り本」に自身で収集した書誌を合わせ蓬左文庫を創設し、「決して門外不出にすべからず」と現在の図書館の走りとなる文庫とした。歴史書『類聚日本紀』も著している。日本武術も好み、柳生利厳から新陰流兵法の相伝を受けている。義直は朝宮御殿を拠点に、よく春日井原へ鷹狩りに行ったという。また、いつ襲われても対処できるようにするためか、寝る際には寝返りを打つごとに脇差の位置を常に手元に置き、さらに目を開けながら絶えず手足を動かして寝ていたとも伝えられている。

慶安3年5月7日(1650年6月5日)、中風で病臥していた義直は、江戸藩邸で死去した。享年51。子の光義が光友に改名して跡を継いだ。
引用元:徳川義直 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%BE%A9%E7%9B%B4

蓬左文庫(ほうさぶんこ)、名古屋市蓬左文庫(なごやしほうさぶんこ、英称:Hosa Library, City of Nagoya)は、愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園にある、尾張徳川家の旧蔵書などの文献資料を所蔵する公開文庫。1616年に名古屋城(別名「蓬左城」)内に設けられた同家の書物庫「御文庫」を起源とし、1912年頃徳川義親により「蓬左文庫」と命名。1950年に名称と蔵書の一部が名古屋市に売却譲渡され、1978年以降は名古屋市博物館の分館として書籍の収集・保管、一般公開を行っている。2016年現在の蔵書数は約11万点。
引用元:蓬左文庫 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AC%E5%B7%A6%E6%96%87%E5%BA%AB

尾張徳川家は、江戸時代に創設された大名家です。徳川将軍家に連なる御三家の筆頭格で、諸大名の中でも最高の格式(家格)を誇っていました。
 初代は徳川家康の9男義直(1600~50)です。義直は慶長12年(1607)、父・家康の命で尾張国(現在の愛知県西部)の大名となり、名古屋城を居城としました。61万9500石の石高を領し、尾張国や美濃国の一部などを領地としていました。御三家の重要な役割として、徳川将軍家に跡継ぎが無い時には、尾張徳川家は紀伊徳川家とともに将軍後継者を出す資格がありましたが、尾張徳川家からは将軍を出すことはありませんでした。
 初代義直は学問を好み、儒教に傾倒して文治政策を推し進め、2代光友(1625~1700)以降の歴代当主もまた、学問に励みました。7代宗春(1696~1764)は、8代将軍吉宗がかかげる質素倹約政策に反して積極的な自由放任政策をとり、城下町名古屋に繁栄をもたらした結果、「芸どころ」名古屋と呼ばれるきっかけを作りました。
 7代宗春が8代将軍吉宗の命で隠居謹慎を命ぜられたあと、8代宗勝(1705~61)が分家の高須松平家から尾張徳川家に入り家督を継ぎました。宗春の治世の放漫財政と風紀の乱れを一掃し、人心の刷新をはかった宗勝の政治改革は、9代宗睦(1732~99)へと継承され、その後尾張徳川家は、将軍家や御三卿から養子を迎えながら、幕末へと向かいました。
引用元:尾張徳川家について | 美術館について | 名古屋・徳川美術館 http://www.tokugawa-art-museum.jp/about/owari-family/