たまのみはしら『霊能真柱』



江戸時代の国学者
平田篤胤の著書です
霊能真柱
たまのみはしら(答)
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霊の真柱
たまのみはしら

平田篤胤(あつたね)の著書。二巻。1813年(文化10)刊。成稿は『古道大意』の翌年であるが、篤胤独自の考えが明確に現れており、平田学の展開方向を決定した重要な著作である。篤胤は貧窮のうちに40両もの大金を投じてこれを刊行した。内容は服部中庸(はっとりなかつね)の『三大考』を下敷きとして、10個の図によって天(あめ)・地(つち)・泉(よみ)からなる世界の成り立ちを説明したものであるが、その要は真の道を知って大倭心(やまとごころ)を固めるために「霊(たま)の行方(ゆくえ)の安定(しずまり)を知る」目的から、人は死後、本居宣長(もとおりのりなが)のいうように夜見(よみ)に行くのではなく、大国主(おおくにぬし)神の支配する幽冥(ゆうめい)に行くと説くところにある。[田原嗣郎]
『田原嗣郎他校注『日本思想大系50 平田篤胤・伴信友・大国隆正』(1973・岩波書店)』
引用元:霊の真柱(たまのみはしら)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%9C%8A%E3%81%AE%E7%9C%9F%E6%9F%B1-1559676

平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年8月24日)-1843年11月2日(天保14年閏9月11日))は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称した。号は気吹舎(いぶきのや)、家號を真菅乃屋(ますげのや)。医者としては玄琢を使う。死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。

復古神道(古道学)の大成者であり、大国隆正によって荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。
引用元:平田篤胤 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4

霊の真柱
宇宙生成過程と,死後の霊魂の行方を詳述.

この本の内容
古学の徒は大倭心(やまとごころ)を堅固にもつことが肝要であり,そのためには「霊(たま)の行方の安定(しずまり)」を知る必要があるとして,宇宙の開闢から天・地・泉の生成と形象を,10箇の図と古伝により説明し,その過程を貫いている神々の功業を明らかにして,霊魂の行方を論じた書.篤胤の幽冥観を確立し,国学的宇宙論に新たな展開をもたらした重要著作.
引用元:霊の真柱 – 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/book/b246516.html