アルマダ


1588年にイギリス海軍が
スペインの無敵艦隊を破った戦い
を「◯◯◯◯の海戦」という?
モハント
レラマチ
アルミダ
アルマダ(答)
41%

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次のスペイン史上の出来事を
起こったのが古い順に選びなさい
後ウマイヤ朝の開始 756
カスティリヤ王国が成立 1035
レコンキスタでグラナダ陥落 1492
スペイン・ハプスブルク朝の開始 1504
フェリペ2世が即位 1580
「アルマダの海戦」で敗北 1588
スペイン継承戦争 1701
フランコによる独裁が開始 1938
引用元:「後ウマイヤ朝の開始」「スペイン・ハプスブルク朝の開始」「フェリペ2世が即位」 https://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/31198/

1588年、イギリス海軍がスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破った海戦。スペインの衰退とイギリスの台頭の契機となった。

 スペインは、イギリスがオランダ独立戦争を支援し、さらにその私掠船がたびたびスペインの貿易船を襲撃して海賊行為を行うことに手を焼いていた。そこでフェリペ2世は無敵艦隊(アルマダ)と言われていたスペイン海軍をイギリスに派遣し、イギリスを制圧することに乗りだした。無敵艦隊は船130隻、水夫8千人、兵士1万8千人に真鍮砲1500門、鉄製砲1000門を装備していた。船舶のうち正規の軍艦は28隻(ガレオン船20隻、ガレー船4隻、ガレアス船4隻)と武装した大型カラック船だった。それを迎え撃つイギリスのエリザベス1世は、王室所属の34隻(うち19隻がガレオン船)と寄せ集めの武装商船163隻(そのほとんどは海賊船)、当時の海軍力では圧倒的に不利な戦いが予想された。イギリス海軍の艦隊副司令官は海賊行為をしながら世界周航を成功させていたドレークであった。

アルマダ海戦の意義

 この一連の海戦をアルマダ戦争(海戦)というが、スペインの船舶、兵士で犠牲となったのは戦闘によってではなく多くは嵐の犠牲になったのだった。しかし、圧倒的に優勢だった無敵艦隊が、なすすべもなくその多くの艦艇を失ったことは、スペインの没落の第一歩となったのであり、同時にイギリスの海洋帝国としての覇権の始まりを意味していたといえる。(もっともスペイン海軍は全滅したわけではなく、その後再建される。)
Episode 引き上げられた無敵艦隊の沈没船

 スコットランド西岸やアイルランド西岸の海域から、スペイン無敵艦隊の沈没船は何隻も発見されている。そこからわかることは、種々雑多な船が使われていること、搭載品も千差万別、食糧用と思われる多数の壺もさまざまな地域のものが見られる。兵士の装備も不揃いで、当時は制服など支給されず、各自が自前で武器や防具を揃えたことがうかがえる。1隻あたりの兵士数も、上陸作戦を想定していたためと船を乗っ取る戦術のためにかなり多く、そのため船は重くなり操作性が悪化したと思われる。致命的なのは大砲の弾のサイズがまちまちで大砲の口径も統一されていないことだ。これでは命中精度がきわめて低かったことが考えられる。
(引用)水中考古学で沈没船を検証していくと、無敵艦隊とはどうやら名ばかりで、実は統率のとれていない寄せ集めの艦隊だったのではないかと思えてくる。
 この海戦を最後に、中世から続いた「敵艦を乗っ取る」戦法はほとんど使われなくなっていく。これ以降主流となるのは、射程の長い大砲を撃ち合う砲撃戦だ。そおで、従来のように出来合の商船にただ大砲を積み込むのではなく、大砲を搭載するのにふさわしいデザインの船が設計されていくことになる。大砲の口径などの規格も統一され、次第に統率のとれた近代海軍へと発展していくのである。<ランドール・スズキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.86>
引用元:アルマダ戦争/アルマダ海戦 http://www.y-history.net/appendix/wh0904-055_1.html

1571年、スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィアの連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った海戦。スペインが地中海の制海権を得てオスマン帝国の勢力は後退した。

 1571年、スペイン全盛期のフェリペ2世、ローマ教皇ピウス5世、ヴェネツィア共和国のキリスト教三国の連合艦隊が、オスマン帝国(スルタンはスレイマン大帝が既に亡く、セリム2世)の海軍を破った戦い。

Episode レパントの海戦とセルバンテス

 スペインの『ドン=キホーテ』の作者セルバンテスは若い頃このレパントの海戦に参加した。そのことは『ドン=キホーテ』の序文でも誇らしげに書いている。彼はこの戦闘で火縄銃の銃弾を左胸と左手に三発被弾した。左手はそのために切断したと本人は言っている。その後セルバンテスは海賊の捕虜となるという数奇な運命に見舞われる。
引用元:レパントの海戦 http://www.y-history.net/appendix/wh0904-040.html

前480年第3次ペルシア戦争で、アテネ海軍がペルシア海軍を破った戦い。ペルシア戦争でのギリシア取り国家連合の勝利の最大要因となった。

 前480年9月末、アテネの沖合のサラミス島付近でアテネ海軍が三段櫂船を駆使してペルシア海軍を破った海戦。ペルシア戦争の帰趨を決した重要な海戦であった。

Episode 見つからない沈没船

 サラミスの海戦は、古代の海戦で最も有名で、ギリシア側が約400隻、ペルシア側が約700隻のガレー船隊が激突し、数百隻が海の藻くずに消えたとされる。これらの海戦で沈んだ船を調査・発掘できれば、興味深い事実がもっと明らかになるに違いない。そこで、サラミスの海戦が行われたサラミス島沖で、水中考古学のサーヴェイが実際に何度も行われている。そして当時の兵士の装着していたヘルメットなどは引き上げられている。しかし、残念なことに船体を発見するまでにはいたっていない。今後も発見するのは難しいだろうといわれている。
 沈没した戦闘用ガレー船(あるいは三段櫂船)を発見するのが、なぜ難しいのか。それはガレー船がそもそも沈没しにくい構造をしているからだ。船はもともと浮くようにできている。荷物を運ぶ商船の場合、積荷で重心が低くなっているため浸水すれば、荷物の重みで海底に沈む。しかし、古代ギリシア・ローマの戦争用ガレー船は、敵艦より素早く動けるように、はじめから極端に軽く造られている。兵士や漕ぎ手が何百人と乗って、やっとバランスがとれる構造である。その状態で浸水しても兵士や漕ぎ手が海中に放り出されてしまうから、船を海底に引き込むだけの重力が働かない。戦闘用ガレー船は破壊されても沈まず、船体が四散して板きれになり流れ去ってしまったのだ。<ランドール・スズキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.112>
引用元:サラミスの海戦 http://www.y-history.net/appendix/wh0102-071.html