ビアズリー


19世紀イギリスの画家
白と黒のみによる作風
小説『アーサー王の死』の挿絵
ワイルドの小説『サロメ』の挿絵
チャールズ・マッキントッシュ
ウィリアム・モリス
オーブリー・ビアズリー(答)
ヴィクトール・オルタ
46%


詩集『地上の楽園』
小説『ジョン・ポールの夢』
アーツ・アンド・クラフト運動
代表作『レッド・ハウス』
ウィリアム・モリス(答)

連想
アール・ヌーボー
連作『スラブ叙事詩』  
女優サラ・ベルナールのポスター
現在のチェコ生まれの画家
アルフォンス・ミュシャ(答)

連想
アール・ヌーボーで活躍
自宅は世界遺産に登録
「タッセル邸」「ソルヴェー邸」
ベルギーの建築家
ヴィクトール・オルタ(答)


トマス・マロリー『アーサー王の死』挿絵(1894)
引用元:ファイル:Bedivere.jpg – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bedivere.jpg

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley [ˈɔːbri ˈvinsənt ˈbiəd͡zli], 1872年8月21日 – 1898年3月16日)は、イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在でもあり、悪魔的な鋭さを持つ白黒のペン画で鬼才とうたわれた。病弱ゆえに25歳の若さで夭折した。

1893年、ビアズリーは行きつけの書店の主人フレデリック・エヴァンズの紹介で出版業者J・M・デントに会う。「バーン=ジョーンズほど金のかからないバーン=ジョーンズ」を求めていたデントのために、以後約1年半にわたってトマス・マロリー作『アーサー王の死』(Le Morte D’arthur)の挿絵を描く。この仕事が始まると同時にウェストミンスター美術学校を退学。『アーサー王の死』の挿絵はウィリアム・モリスから剽窃呼ばわりされたが、「彼(モリス)の作品はただ旧弊な代物を模倣したに過ぎないが、僕の作品は新鮮で独創性に溢れている」と言い返した。

1893年2月2日、ビアズリーはロスの紹介で知り合ったルイス・ハインドの発行する『ペル・メル・バジェット』誌でデビューする。同年5月、ビアズリーは憧れのジェームズ・マクニール・ホイッスラーにパリで会うが、悪印象を持たれてこき下ろされたため、復讐にホイッスラー夫妻を揶揄する諷刺画を描く。同年6月、パリから帰国後、オスカー・ワイルド作『サロメ』の挿絵を描く契約を結ぶ(本来、ビアズリーはこの作品の英訳者になることを望んでいたが叶わなかった)。この作品の挿絵を描くように慫慂したのは作者ワイルド自身だったが、ビアズリーの絵は「僕の劇はビザンチン的なのに、ビアズリーの挿絵はあまりに日本的だ」との理由により、ワイルドには気に入らなかった。作者を揶揄する内容の数枚の挿絵も、結局ワイルドを怒らせた。
引用元:オーブリー・ビアズリー – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC