ガオ・シンジェン


2000年に、中国語で創作を
している人物で初めて
ノーベル文学賞を受賞した
フランス国籍の作家は?
ンオガジ・ンシェ
ガオ・シンジェン(答)
18%
Gao Xingjian
高行健

高 行健(ガオ・シンジェン、1940年1月4日 – )は中国出身、フランス国籍の作家。2000年に華人としては初のノーベル文学賞を受賞した。水墨画家としても活動している[1]。

代表作
代表作『霊山』はガンの宣告を受けた男が中国南部の山野をさまよい歩く姿を描いた長編小説。1989年パリで完成した中国語作品で、その後フランス語、英語などに広く翻訳された。『ある男の聖書』(一個人的聖経、1998年) は、文革時代を背景とする自伝的小説。

1981年から北京人民芸術劇院の劇作家となり、実質的に中国初の小劇場演劇『非常信号』(絶対信号、劉会遠と合作、1982年)、不条理劇に学んだ『バス停』(車站、1983年)、大劇場ながら実験性に満ちた『野人』(1985年)などを次々に発表した。演出はいずれも林兆華で、それまでの話劇に叛逆する中国実験演劇の嚆矢として中国演劇界で大きな反響を呼んだ。しかし西欧の手法を大胆に取り入れた戯曲は批判を招き、1987年ドイツとフランスの招聘で出国、翌年からパリに滞在した。

1989年に天安門事件が起きると、『逃亡』(1990年)を発表して政治亡命を果たし、1998年フランス国籍を取得した。1992年にはフランス大統領より芸術文化勲章を受章している。2000年10月12日に中国語作家としては初のノーベル文学賞を受賞し世界的な話題となった。中国では亡命作家・高行健の作品は一時発禁となったが、人民日報はノーベル受賞のニュースと略歴を報道した。近年は、中国国内でも高行健の作品を収めた戯曲選集が刊行されている。
引用元:高行健 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%A1%8C%E5%81%A5

高行健
こうこうけん
Gao Xingjian

[生]1940.1.4. 江西,州
フランス在住の中国系作家。 1957年北京外語学院フランス語部に入学,在学中に学生劇団を結成,演劇活動と同時に戯曲や小説,詩の創作を開始する。 62年同校卒業後,国際書店に勤務。文化大革命中は農村に下放されるが,発表のあてもないままひそかに作品を書き続ける。 75年北京に戻り,79年には中国共産党に入党。 81年からは北京人民芸術劇院に所属し,82年に上演した『絶対信号』では中国初の小劇場方式をとり成功を収める。一方,S.ベケットや E.イヨネスコなど現代フランス不条理演劇の翻訳・紹介にあたる。しかし,83年に発表した『車站』の実験的な作風が政府当局の批判を受け創作活動を制限される。 87年ドイツの芸術財団の招聘を受けて出国し,88年政治難民としてフランスに移住。 89年天安門事件を機に共産党を離党し,フランス国籍を取得する。出国後も,天安門事件を題材にした戯曲『逃亡』 (1989) や長編小説『霊山』などを発表し,92年にはフランス政府より文学・芸術騎士勲章を受章。また 2000年には中国系文学者としては初めて,中国の小説や演劇に新境地を開いたとしてノーベル文学賞を受賞。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:高行健(こうこうけん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E8%A1%8C%E5%81%A5-176261