クルップ


1811年に設立された
製鋼工場から発展し
「死の商人」の典型とされた
ドイツの財閥は?
ハクーギル
ンプッザド
クルップ(答)
34%

クルップ(Krupp)は、ドイツのエッセンにある長い歴史を持つ重工業企業である。1999年にティッセン社と合併し、ティッセンクルップが誕生。巨大な工業コングロマリットとなっている。

新製鋼法を導入し、事業を順調に伸ばすアルフレートは、プロイセンだけではなく軍備強化に励む各国から手広く受注していた。その一方で、プロイセンが国内の鉄鋼業者から競争入札で大砲の発注元を決めようとしたときは「一門でもクルップ以外の鉄鋼業者が注文を取ったら、直ちに全世界に対して、彼らの欲する大砲を売り渡すであろう」と脅迫めいた内容の手紙を出している。

そんなアルフレートに対して、いつしか人々は皮肉をこめて「大砲王」と呼ぶようになった。もっとも、本人はその称号をいたく気に入っていたようである。クルップは兵器だけでなく、鉄道用品の製造に力を注いだ。特にクルップの作る継ぎ目なしの車輪は、丈夫でしかも摩擦が少ないということから年々受注が増えた。こうして建設された鉄道が普仏戦争をプロイセン王国の勝利に導いたのである。1867年、アルフレートはナポレオン3世が主催するパリ万国博覧会には化け物のような大きさの巨砲を出品した。

当時オランダに留学中の榎本武揚や赤松則良らはアルフレート・クルップを訪れ社長と会見している。同時に当時建造中の軍艦開陽丸に搭載する大砲を注文し、最終的に18門が搭載された。日本でもクルップの火砲を元に多数の火砲が製造され、日露戦争の時には多数のクルップ式火砲を装備していた。日本語名として「克式」と呼ばれた。中国にもクルップの火砲は供与され、ギネスブックにも載る胡里山砲台(中国語版)は日中戦争の際に日本の軍艦を砲撃したと伝えられてる[1]。
引用元:クルップ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%97

クルップ(Alfred Krupp)
くるっぷ
Alfred Krupp
(1812―1887)

ドイツの製鋼企業家。14歳で父フリードリヒ(1787―1826)から引き継いだエッセンの小鋳鋼場を、世界的重工業兵器企業に発展させ、クルップ家の5代にわたる事業を確立、エッセンをクルップの町としてルール重工業史上に巨歩を記した。父譲りの優れた鋳鋼技術のうえに発明を重ね(スプーン圧延機、継ぎ目なし車輪など)、おりから工業化のさなかに展開する鉄道業を基盤に、1840年代に企業の飛躍的拡大を達成。製品信用を重視する高品質高価格政策とともにプロイセン軍部に食い込み、制式砲に採用されたクルップ砲のプロイセン・オーストリア戦争、プロイセン・フランス戦争での効果により、兵器企業としての成長を確実にした。また製鋼技術ではもっとも早くベッセマー法を採用し、ジーメンス‐マルタン法の採用、採炭から最終製品まで一貫する「混合企業」の形成などルール重工業の方向を打ち出しつつ、独自の労働者政策や同族的企業組織などで特徴的な「クルップ経営」を樹立した。[福応 健]
引用元:クルップ(くるっぷ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%97%28Alfred+Krupp%29-1528147