エクバタナ


紀元前8~6世紀にイランに
栄えたメディア王国の首都
エクバタナ(答)
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Ecbatana

エクバタナ(Ecbatana、エクバターナ)は、古代ペルシアにあった都市の名。現在のハマダーン(イラン・ハマダーン州)にあたる。古代ペルシア語ではハグマターナ(Haŋgmatana)と呼ばれ、原義は「集いの場所」となる[1]。エクバタナはメディア王国の首都と考えられているほか、その後のアケメネス朝やパルティアの夏の王都(夏営地)にもなった。

古代ギリシア語ではエクバタナ(ギリシア語: Ἐκβάτανα, Ekbatana)となるが、アイスキュロスおよびヘロドトスによる資料ではアグバタナ(ギリシア語: Ἀγβάτανα, Agbatana)となっている。ダレイオス1世が刻ませたベヒストゥン碑文にもその名は登場している。ヘブライ語聖書ではエズラ記(6章2節)に「ヘブライ語: אַחְמְתָא‎」(近代ヘブライ語の発音では Aẖmeta アフメタ、ティベリア式発音では ʼAḥməṯā。ラテン語聖書では Ecbatana エクバタナと訳されている)の名で登場する。
引用元:エクバタナ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%8A

メディア王国(メディアおうこく、Μηδία, Media、紀元前715年頃 – 紀元前550年頃)は、現在のイラン北西部を中心に広がっていたメディア人(英語版)の王国である。首都はエクバタナ。アッシリアが紀元前612年頃崩壊し、その後影響力を拡大したエジプト、リュディア、新バビロニア(カルデア)とともに当時の大国となった。
引用元:メディア王国 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD

メディア王国
イラン高原西部のイラン人の一派が建国し、メディア人が前612年、アッシリア帝国を滅ぼす。4国分立時代にイラン高原を支配したが、約60年の短命に終わり、前549年にアケメネス朝ペルシア帝国に滅ぼされた。

 メディア人はインド=ヨーロッパ語族のイラン系民族の人々で、イラン高原の西北部からカスピ海の西に進出した。彼らは歴史記録に登場した最初のイラン人であり、前9世紀以降、イラン高原に軍事侵攻を繰り返したアッシリアの記録に現れる。ヘロドトスの『歴史』によれば、メディア人は6つの部族に分かれ、その一つに「マゴイ」があり、それは祭司階級を意味する「マギ」から関係があると思われる。イラン高原東北部の遊牧地帯から興ったゾロアスター教が次第に東漸してくるとメディア人の伝統的祭儀に固執したマギはそれに抵抗しながら、ザグロス山脈の東側に定住したメディア人とペルシア人は北のアッシリアや南のバビロンなどの古代都市文化と接触して多くのことを学んだ。
アッシリア帝国を滅ぼす

 メディア人はカスピ海沿岸に移住し、前8世紀末に建国した。都はエクバタナ(現在のハマダーン)におき、イラン高原ペルセス地方のペルシア人を支配下に入れた。さらに前612年、新バビロニア王国(カルデア人)と協力してニネヴェを陥れ、アッシリア帝国を滅ぼした。それ以後は「4国分立時代」の一角を占め、イラン高原を中心に西はアルメニア、東はペルシア、さらに中央アジア方面まで支配した。
引用元:メディア王国 http://www.y-history.net/appendix/wh0101-100.html