穴穂部間人皇女


聖徳太子の生母として知られる
用明天皇の皇后は?
穂女穴間部皇人
穴穂部間人皇女
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あなほべのはしひとのひめみこ

穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、生年不詳 – 推古天皇29年12月21日(622年2月6日)[1])は、飛鳥時代の皇族。欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘・小姉君。同母弟に穴穂部皇子・崇峻天皇がいる。穴太部間人王、孔部間人公王、間人穴太部王、鬼前太后とも称す。

聖徳太子の生母として知られる。

「穴穂部」の名は、石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)で養育されたことに由来すると考えられている[2]。

なお「間人」(はしひと、もしくは はしうど)の名を持つ皇女は他に舒明天皇皇女(孝徳天皇皇后)がいるが単に間人皇女(はしひとのひめみこ)と呼ばれることが多い。
引用元:穴穂部間人皇女 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E7%A9%82%E9%83%A8%E9%96%93%E4%BA%BA%E7%9A%87%E5%A5%B3

穴穂部間人皇女
あなほべのはしひとのこうじょ

[生]?
[没]推古29(621).12.21. 大和
用明天皇の皇后。聖徳太子の母。欽明天皇の皇女。母は蘇我稲目 (そがのいなめ) の娘小姉君 (おあねぎみ) 。天寿国繍帳は彼女と太子の死をいたんで,太子の妃橘大郎女 (たちばなのおおいらつめ) が采女 (うねめ) に織らせたもの。
引用元:穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのこうじょ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%A9%B4%E7%A9%82%E9%83%A8%E9%96%93%E4%BA%BA%E7%9A%87%E5%A5%B3-26370