まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな


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竹下夢二の有名な詩にしなさい
まてどくらせど
こぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよひは月もでぬさうな
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銚子の旅館で出会った少女への想い
1910 年(明治43年)、当時27歳の竹久 夢二は、離婚した家族と避暑旅行へ千葉県の銚子を訪れ、犬吠崎にほど近い海鹿島(あしかじま)町の宮下旅館に滞在した。

旅館の隣には長谷川家があり、ちょうどそこへ家族を訪ねて来た長谷川カタ(当時19歳)に出会った夢二は、たちまち彼女に一目ぼれしてしまう。二人の関係がどこまで進んだかは明らかになっていないが、結局夢二の恋が実ることはなかった。

夢二はあきらめきれなかったのか、翌年(1911年)の秋、一人で再び海鹿島の地を訪れたが、長谷川家に彼女の姿はなかった。勤務先の成田へ戻ったカタは既に嫁いでいたのだ。

いくら待っても来るはずのない恋人を思い、夢二は悲しみに暮れる胸の内を一篇の詩に綴った。1912年6月1日付の雑誌「少女」には、次のような『宵待草』の原詩が掲載された。

遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
あれあれ風に吹かれて来る

待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき

想ふまいとは思へども
我としもなきため涙

今宵は月も出ぬさうな

後にこの原詩を元にメロディがつけられ、以下の歌詞で抒情歌『宵待草』として人気の曲となり、今日に至っている。
引用元:宵待草 よいまちぐさ 歌詞と視聴 http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/yoimachigusa.htm

竹久夢二詩画集
詩と画を融合させた芸術を開花させた竹久夢二(1884-1934)の詩115篇を,挿画とともに収録.夢二ファン必携の一冊.

著者 石川 桂子 編
通し番号 緑208-1
ジャンル 書籍 > 岩波文庫 > 緑(現代日本文学)
日本十進分類 > 文学
刊行日 2016/09/16
ISBN 9784003120811
Cコード 0192
体裁 文庫 ・ 並製 ・ カバー ・ 352頁
定価 本体1,200円+税

この本の内容
まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな――.詩,童謡,童話の創作にも才能を発揮し,詩画を融合させた芸術を開花させた竹久夢二(1884―1934)の詩115篇を,挿画とともに収録する(一部カラー).そのほか,夢二の芸術観をよく伝えるエッセイとエピグラム的な断章を日記より抜粋し併収.夢二ファン必携.[カラー64頁]
引用元:竹久夢二詩画集 – 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/book/b266321.html

 
 夢二といえば、大正ロマン、愁いを含む美人画、「宵待草」の歌で知られる。そう、夢二作詞の、あの哀切な歌である。

 まてどくらせどこぬひとを

 宵待草のやるせなさ

 こよひは月もでぬさうな。

 美術館の学芸員谷口朋子(たにぐち・ともこ)(40)は13年前にここに来たとき、「夢二ってあんまり好きじゃない。甘く情緒的」と思った。

 夢二が生きたのは明治から大正、昭和にかけての49年間である。日清・日露戦争、大逆(たいぎゃく)事件、大正デモクラシー、関東大震災、そして満州事変まで日本は激しく動く世情の中にいた。

>そんな時代を夢二は、たまきさん、彦乃(ひこの)さん、お葉(よう)さん、何人もの女性を愛し、美人画を描いて過ごしたんですね。

 「ええ、純粋だったからか、あるいは自分をさらけだす人だったのか。でも、夢二は反戦画家でもあったんですよ」

 美術館所蔵の明治の新聞「直言」の合本をめくる。1905(明治38)年6月の紙面のコマ絵、いまでいう政治漫画は、白衣の骸骨(がいこつ)と泣いている丸髷(まるまげ)の女が寄り添う姿である。「日露戦争の勝利の悲哀を描いている。夢二が描いた最初の政治風刺画だろうといわれています」

 当時、ナショナリズムを高揚させた日露戦争に対し、反戦論、非戦論が台頭していた。内村鑑三(うちむら・かんぞう)はキリスト者として、幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)、堺利彦(さかい・としひこ)ら社会主義者は「平民社」をつくって「週刊平民新聞」を発刊、世に訴えた。廃刊の憂き目にあうと、「直言」「光」「日刊平民新聞」などが後を継ぐ。

 「夢二はこれらにコマ絵を寄稿しているんです。けっこう、どぎつい絵ですよ」

 この絵、先頭は凱旋(がいせん)の楽隊、でも続くのは負傷兵、悲しむ女、後尾は得意顔の村長ですよ。ほう、これも戦争の悲哀ですね。こちらは資本家と労働者、これは成り金と女の図柄です。これは墓前で悲しむ女。はあ、夢二はこんな絵を描いたんですか。反戦と美人画。夢二はどんな人だったんでしょう。

 夢二は1884(明治17)年、岡山で生まれた。母と姉にだけ打ち明けて家出して上京、早稲田実業学校に入る。平民社に出入りする荒畑寒村(あらはた・かんそん)、岡栄次郎(おかえい・じろう)とともに下宿して社会主義に傾斜する。

 彼らの薦めで寄稿したコマ絵は、女性や子どもへの同情に満ちていた。反戦と美人画、いずれも遠い母や姉への思慕からはぐくんだものかもしれない。
引用元:asahi.com(朝日新聞社):夢二は反戦画家だった – ニッポン人脈記 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200905190229.html