テオドシウス朝、ユスティニアヌス朝、マケドニア朝、アンゲロス朝、パレオロゴス朝


次のうち
東ローマ帝国の王朝を
全て選びなさい
フラティウス朝 ローマ帝国
セウェルス朝 ローマ帝国
コンスタンティヌス朝 ローマ帝国
マケドニア朝(答)
テオドシウス朝(答)
パレオロゴス朝(答)
ユスティニアヌス朝(答)
アンゲロス朝(答)
22%

東ローマ帝国(395年 – 1453年)とは、東西に分割統治されたローマ帝国の東側の領域、およびその帝国である。

5世紀に西ローマ帝国が滅亡して以降は東地中海またはバルカン・アナトリア両半島を中心に国土を形成した。ローマ文化を部分的に継承していたものの、本質的にはオリエント(中近東)からの影響を持つギリシア文化(ヘレニズム)圏かつキリスト教圏であり、絶えざる争乱もあって、7世紀を境に古代ローマとは異なる独自の文明へと変質していった。この帝国は12世紀に至るまで全ヨーロッパの羨望の的でもあったが、同時に嫉妬と侮蔑の対象でもあった。

東ローマ帝国は「中世ローマ帝国」とも呼称され、一般的にはビザンツ帝国やビザンティン帝国の名でも知られる。

前期 成立と再興
 ・テオドシウス朝(379年 – 457年)
 ・レオ朝(457年 – 518年)
 ・ユスティニアヌス朝(518年 – 602年)
  ・大帝のローマ復興
中期 変化と盛衰
 ・ヘラクレイオス朝(610年 – 695年 / 705年 – 711年)
  ・英雄の誕生
 ・シリア朝(717年 – 802年)
  ・その渾名は糞皇帝!
  ・参上二次元女帝
 ・アモリア朝(820年 – 867年)
 ・マケドニア朝(867年 – 1057年)
  ・全盛期
 ・ドゥーカス朝(1059年 – 1081年)
 ・コムネノス朝(1081年 – 1185年)
 ・アンゲロス☆ファミリーズ
後期 分裂と衰亡
 ・ラテン帝国とニカイア帝国(1204年 – 1261年)
 ・パレオロゴス朝(1261年 – 1453年)
  ・超内乱
滅亡
引用元:東ローマ帝国とは (ヒガシローマテイコクとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国 (IMPERIVM·RÓMÁNVM 《インペリウー・ローマーヌ》、Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων 《バシレーアー・トーン・ローマーイオーン》)は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブール)であった。
西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。
引用元:東ローマ帝国 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD