遠藤謹助「桜の通り抜け」造幣局長


幕末の長州藩士
長州五傑の一人
大阪の造幣局長に就任
「桜の通り抜け」を発案
伊藤博文
遠藤謹助(答)
山尾庸三
井上馨
46%


幕末の長州藩士
長州五傑の一人
ハルビンで暗殺
日本の初代総理大臣
伊藤博文(答)

連想
長州藩の出身
御楯隊を創設
日本大学の創設者
第1次伊藤内閣で初代司法大臣
山田顕義(答)

連想
幕末の長州藩士
長州五傑の一人
塙忠宝を暗殺
法制局の初代長官
山尾庸三(答)

連想
幕末の長州藩士
長州五傑の一人
黒田内閣で農商務大臣
伊藤内閣で初代外務大臣
井上馨(答)

遠藤 謹助(えんどう きんすけ、天保7年2月15日(1836年3月31日) – 明治26年(1893年)9月13日)は、明治時代の長州藩出身の官僚で長州五傑の一人。

文久3年(1863年)、密かに英国に井上馨、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の4人と共に留学し、慶応2年(1866年)に帰国。同年、英国公使ハリー・パークスはジョージ・キング提督に長州藩を訪問させる事とし、井上馨らは三田尻で出迎えて饗応し、翌日停泊する英国艦提督室で毛利敬親父子との会見が実現した。この時遠藤と井上が通訳をした。
明治維新後は、明治3年(1870年)から死去する26年(1893年)まで造幣局に務めた。明治7年(1874年)には指導責任者であるイギリス人のお雇い外国人トーマス・ウィリアム・キンドルと衝突し、造幣局を去るが、明治8年(1875年)1月にはオリエンタル・バンクと契約を解消し、キンドル他9人のお雇い外国人が解雇されると、再び造幣局に戻る。明治14年(1881年)には造幣局長となっている。
毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する大阪造幣局「桜の通り抜け」は明治16年(1883年)に当時の局長だった遠藤の指示により始まり、現在も大阪の春の風物詩として継承されている。
引用元:遠藤謹助 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E8%AC%B9%E5%8A%A9

遠藤謹助 えんどう-きんすけ

1836-1893 明治時代の官僚。
天保(てんぽう)7年生まれ。文久3年伊藤博文らとイギリスに留学,ロンドン大でまなぶ。大蔵省にはいり,大蔵大丞などをへて,明治14年造幣局長となり,近代的貨幣制度を導入した。16年から花見の時期に局構内を一般に開放,「造幣局の通り抜け」として今も大阪市民にしたしまれる。明治26年9月13日死去。58歳。長門(ながと)(山口県)出身。
引用元:遠藤謹助(えんどう きんすけ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%81%A0%E8%97%A4%E8%AC%B9%E5%8A%A9-1059309