劉向『説苑』『列女伝』


中国・前漢末に活躍した学者で
著書に『洪範五行伝』『説苑』や
古代中国の有名な女性について
書いた『列女伝』があるのは?
社仲
管預
劉儀
劉向(答)
25%

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中国の儒書『説苑』に由来する
必要に迫られてから物事を準備
しても間に合わないことを
いった慣用句は?
井臨渇て穿つにをみ
喝に臨みて井を穿つ(答)
かつにのぞみていをうがつ
引用元:「喝に臨みて井を穿つ」必要に迫られて準備しても間に合わない『説苑(ぜいえん)』 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/10869/

劉 向(りゅう きょう、紀元前77年(元鳳4年) – 紀元前6年(建平元年))は、前漢の学者、政治家。はじめの名は更生、字は子政。多数の著作者で知られる。劉邦の末弟である楚元王劉交の玄孫。陽城侯・劉徳の第2子で、兄に劉安民が、弟(名は不詳)の息子に劉慶忌がいる。前漢の宗室の身分である。

10数年後、成帝の世になると弘恭らは失脚、そこでまた任用された。この時に、名を向に改めた。それから宮中蔵書の校勘を担当することになった。この頃、外戚の王氏が権力を握っていたので『列女伝』など著作をはじめとして、文章を奏上することによって何度も主上を諫めた。主上も諫言をもっともだと思っていたが、周囲の圧力のためにそれらを活かすことができず、劉向は30年あまりも重用されることなく72歳でこの世を去った。なお、紅侯の劉歆は第3子である。
引用元:劉向 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%90%91

劉向
りゅうきょう
Liu Xiang

[生]元鳳1(前80)頃
[没]建平1(前6)頃
中国,前漢の学者。漢王族の出身。博学で,文才があり,20歳で諫議大夫となり,政治的抱負をもっていたが,失脚し,のち再び用いられ,宮中所蔵の諸文献と民間所蔵のそれとを対校して新校本をつくり,それぞれの解題『別録』を著わし,中国の目録学の創始者とされる。君主を教誡する目的で編んだ『新序』『説苑 (ぜいえん) 』『古列女伝』などのほか,『洪範五行伝』の著がある。また『楚辞』の編者としても知られ,みずからも『九歎』など 33編の作品があったが多くは伝わっていない。
引用元:劉向(りゅうきょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8A%89%E5%90%91-149579

列女伝
れつじょでん
Lie-nü-zhuan

中国の女性の伝記。女性の修養のためにつくられたもので,女性像を賢明,貞慎,節義などの類型に分け,それに属する賢母,烈婦の話を集める。この名をもつ書物として,漢の劉向 (りゅうきょう) 撰『古列女伝』,明の解縉 (かいしん) 撰『古今列女伝』が著名。
引用元:列女伝(れつじょでん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%88%97%E5%A5%B3%E4%BC%9D-151725

説苑
ぜいえん
Shui-yuan

中国の歴史故事集。漢の劉向 (りゅうきょう) の編。古来の説話,寓話,逸話などを集め,その間に教訓的な議論をはさんだもの。儒教的な理念によって歴史,政治を解釈しており,当時すでに儒教が普及していたことを示している。 50編あったが,大部分が散逸し,現在は宋の曾鞏 (そうきょう) が復元した 20巻に拠っている。
引用元:説苑(ぜいえん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%AA%AC%E8%8B%91-85520