「ヴァロワ朝」1328~1589フィリップ6世


1328年~1589年
フランスの王朝
フィリップ6世
アンリ3世
ランカスター朝
カペー朝
ヴァロワ朝(答)
ヨーク朝
34%


フランク王国の王朝
ルネサンス
ピピンの寄進
カール大帝の活躍
カロリング朝(答)

連想
フランス国王
ユグノー戦争で活躍
ブルボン朝を創始
ナントの勅令
アンリ4世(答)

フランク時代から書き起こせば

メロヴィング朝(481年~751年)
カロリング朝(751年~987年)
カペー朝(987年~1328年)
ヴァロワ朝(1328年~1589年)
ボナパルト朝(1804年~1814年、1814年~1815年)
ブルボン朝(1589年~1792年、1814年、1815年~1830年)
オレルアン朝(1830年~1848年)
第二ボナパルト朝(1852年~1870年)
引用元:フランスの王朝名を順番に教えてくれませんか? – 西フランク王国のカロリング朝… – Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14160175469

フランク王国の最初の王朝。481年、クローヴィスがフランク諸部族を統一して創始。ローマ教会に改宗してゲルマン諸国の中で有力となったが、751年にカロリング朝に交替した。

 フランク王国の最初の王朝。481~751年。メロヴィングの名は、フランク人の一部族サリ族の首長メローヴィスの祖父、メロヴィクスの名に由来する。481年にクローヴィスがフランク諸部族を統合して王位についた。その後、領土を拡張し、496年にクローヴィスの改宗によってローマ教会と提携し、他のゲルマン諸国に対し優位に立つようになった。しかし、部族連合としての国家形態では王の支配権は弱く、しかも王家もゲルマン人社会の規則である分割相続制をとったために、6世紀の半ばには、国土は東北部(アウストラジア)、中西部(ネウストリア)、南部(アクイタニア)、東部(ブルグンド)の4つに分けられ、それぞれ国王をいただいて争うようになった。
引用元:メロヴィング朝 http://www.y-history.net/appendix/wh0601-038.html

カロリング家のピピンが建てたフランク王国の王朝。

 751年からメロヴィング朝にかわりフランク王国を支配したカロリング家の王朝。メロヴィング家の宮宰であったカロリング家のカール=マルテルの子のピピン(3世。小ピピン)がローマ教皇の同意を得て即位、かわりに領地を寄進(ピピンの寄進)してローマ教皇との結びつきを強くした。
 初代ピピンの子のカール大帝(1世)は領土を周辺に広げ、現在の西ヨーロッパほぼ全域を支配し、800年にローマ教皇からローマ帝国皇帝に戴冠された(カールの戴冠)。しかし、その死後はゲルマン人の一派で固有の分割相続原則によって領土分割が相次ぎ、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって東フランク、西フランク、イタリアの三国に分裂する。カロリング家の王はそれぞれを継承したが、10世紀までにいずれも断絶する。
引用元:カロリング朝 http://www.y-history.net/appendix/wh0601-045.html

987年に始まるフランスの王朝。 

西フランク王国のカロリング家の王統が途絶え、パリ伯のユーグ=カペーが有力諸侯から推されて王位について始まった。カペー朝の成立によって「フランス王国」と称されるようになったが、地方の封建領主の力が強く、王権は弱体であった。
引用元:カペー朝 http://www.y-history.net/appendix/wh0601-098.html

1328年~1589年の約260年間のフランスの王朝。百年戦争後の王権強化に努め、一六世紀前半にはハプスブルク帝国と争った。

 フランス王国のカペー朝に続く、中世から近世にかけての王朝。百年戦争を経て、シャルル7世が次第に王権を強化し、16世紀のフランソワ1世の時代には神聖ローマ帝国とヨーロッパの覇権を争う。その後宗教戦争であるユグノー戦争が激化し、その中でブルボン朝に代わる。
ヴァロワ朝の成立と百年戦争
:1328年、カペー朝のシャルル4世が死去したが、息子がなく、兄弟も死んでいたので王位継承の問題が起こった。イギリス王エドワード3世(母がフィリップ4世の娘)と、シャルル4世のいとこにあたるフィリップ=デヴルー、フィリップ=ド=ヴァロワの三人が候補者となり王位を要求した。諮問を受けた三部会は『フランス王国に生まれた』という理由でフィリップ=ド=ヴァロワを選び、フィリップ6世として即位した。これがヴァロワ朝の始まりである。これに対してエドワード3世はなおも王位継承権を主張して百年戦争が勃発する。
引用元:ヴァロワ朝 http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-035.html