渋谷定輔『農民哀史』



1925年に小説『女工哀史』を
書いたプロレタリア文学の
作家は細井和喜蔵ですが

1970年に『農民哀史』を
書いた明治生まれの作家は
◯◯定輔?
◯の苗字をひらがなで答えなさい
しぶや(答)
30%
渋谷定輔
しぶやていすけ

083rptgjcdljat
全日本無産者芸術連盟(ナップ)
の初代委員長を務めた作家で
戯曲『何が彼女をそうさせたか』
で知られるのは誰?
田本幸江成
藤吉隆雄森
藤森成吉(答)
ふじもりせいきち
引用元:「藤森成吉」全日本無産者芸術連盟の初代会長 http://seethefun.net/%E8%8A%B8%E8%83%BD/29908/


江戸時代に『農業全書』を書いた農学者は宮崎安貞ですがそのモデルとなった農書『農政全書』を書いた明の政治家は◯◯◯?
じょこうけい(答)
徐光啓

文字パネル
中国・明の時代の末期に学者の宋応星が著した産業技術の集大成である図解解説書の題名は何?
天工開物(答)

渋谷定輔(しぶや ていすけ、1905年10月12日-1989年1月3日)は、詩人、農民運動家。

経歴[編集]
埼玉県入間郡南畑村(現富士見市)出身。妻は渋谷黎子。子供の時から農業に従事、そのかたわら詩や生活記録を執筆。1925年下中弥三郎らと農民自治会を組織し「自治農民」[1]の編集にあたる。1928年日本非政党同盟を結成し、全国農民組合に参加、埼玉県連書記長となる。30年中央委員。1937年サハリンからソ連に越境を計画して逮捕され、下獄。39年出獄。戦後は新日本文学会に参加し、1955年日本農民文学会の結成に参加、理事に就任。1970年『農民哀史』を刊行、ロングセラーとなる。1982年より思想の科学研究会会長[2][3]。
没後、関連する文書、図書・雑誌類が富士見市に寄贈され、富士見市立図書館の渋谷定輔文庫として保存・提供されている[4]。
引用元:渋谷定輔 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E5%AE%9A%E8%BC%94

渋谷定輔は明治38年、入間郡南畑村(現:富士見市上南畑)に農家の長男として生まれました。
幼少より文学に興味を持ち、大正15年に刊行された『野良に叫ぶ』は農民自身による日本最初の農民詩集として評価を受けましたが、時代は彼を農民運動へと傾倒させていきました。
戦後は、文学・文化・経済活動を幅広く続け、昭和45年、大正時代末の南畑を舞台にした記録文学『農民哀史』を刊行しました。
渋谷定輔文庫は、氏の生前からの意思により平成元年、富士見市が資料の一括寄贈を受け入れたものです。図書をはじめとして、戦前からの貴重な資料を、多数所蔵しています。
引用元:渋谷定輔文庫について | 富士見市立図書館 https://www.lib.fujimi.saitama.jp/shibuya/