『交隣提醒』


江戸時代の儒学者・雨森芳洲が
1728年に対馬藩主に献上した、
朝鮮外交の心得を述べた著書は?
隣堤醒要接
交朝見治管
交隣堤醒(答)
18%
こうりんていせい


弟の北渓は徳川吉宗の侍医
江戸時代中期の儒学者
柳沢吉保に抜擢される
著書『政談』
雨森芳洲
木下順庵
荻生徂徠(答)
頼山陽
50%

連想
木下順庵の弟子
江戸時代中期の儒学者
『治要管見』『交隣提醒』
対馬藩朝鮮方佐役として活躍
雨森芳洲(答)
引用元:荻生徂徠『政談』 吉宗の侍医・荻生北渓 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/37199/

交隣提醒
朝鮮との「誠心の交わり」を説いた江戸時代の外交思想の書。厳密な校訂と詳細な訳注・解説を加え、最も信頼できる形で刊行。今こそ再読されるべき名著。

引用元:交隣提醒 – 平凡社 http://www.heibonsha.co.jp/book/b181276.html

交隣提醒 こうりんていせい

享保13(1728)年、雨森芳洲が61歳の時に執筆した。対馬藩主に対して朝鮮外交の 心得を五二項目にわたって述べている。国際関係においては平等互恵を旨とし、 外交の基本は誠信にあると説いた。
引用元:交隣提醒とは – はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%F2%CE%D9%C4%F3%C0%C3

あめのもりほうしゅう【雨森芳洲】

(1668~1755) 江戸中期の儒学者。近江の人。名は俊良・誠清のぶきよ、別号に絅尚堂・橘窓とも。江戸で木下順庵に学び対馬藩に仕える。中国語・朝鮮語に通じ、朝鮮との応接に功があった。著「橘窓文集」「橘窓茶話」「交隣提醒」など。
引用元:雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%9B%A8%E6%A3%AE%E8%8A%B3%E6%B4%B2-27423

互いに欺かず争わず 日韓修好のプロ、雨森芳洲に学ぶ

対馬藩お抱えの儒者、雨森芳洲(1668~1755)は、日韓関係が悪化するたびに顧みられる存在だ。朝鮮との外交や通商で「誠心」の姿勢を貫き、日韓双方から評価されている。雨森家の故郷、滋賀県長浜市と長崎県対馬市にある「芳洲会」を訪ねつつ、「互いに欺かず、争わず、真実をもって交際する」ことを勧めた雨森芳洲の知恵の深さを感じてみる。

>第1章 江戸時代、朝鮮と「誠信」で

 日韓関係が悪化すると顧みられる江戸時代の人物がいる。雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668~1755)。対馬藩お抱えの儒者で、朝鮮との外交や通商で「誠信」の姿勢を貫いた。
 1728年に著した「交隣提醒(こうりんていせい)」でその意味を「互いに欺かず、争わず、真実をもって交際すること」と説いたこともよく引かれる。
 3世紀前にこんな先人がいたという史実自体に何か救われる思いがする。しかも、芳洲には私たちを何度も振り返らせる多面的な魅力がある。芳洲との縁(えにし)から日韓交流に携わる人々をたどり、彼の思想にも立ち入りたい。
 芳洲が両国の「懸け橋」として脚光を浴びたのはそう昔ではない。1990年、来日した韓国の盧泰愚(ノテウ)大統領(当時)が宮中晩餐(ばんさん)会のスピーチで言及したのがきっかけだ。
引用元:互いに欺かず争わず 日韓修好のプロ、雨森芳洲に学ぶ(朝日新聞) – WEB新書 – 朝日新聞社(Astand) http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2015101500004.html

特集ワイド:日韓外交に「誠信」を 江戸時代の儒学者、雨森芳洲に学ぶ

毎日新聞 2015年10月28日 東京夕刊

コラージュ・堀内まりえ

 ◇「互いに欺かず、争わず」 多文化共生説く

 江戸時代の儒学者で、朝鮮との外交で「誠信」の心得を説いた雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668-1755年)を知っていますか? ようやく日韓首脳会談が開かれる見通しになったとはいえ、両国が真の未来志向へ転じるため、顧みられるべき人物である。深まる秋、芳洲のふるさと、奥琵琶湖を歩いた。【鈴木琢磨】

>68年秋、司馬遼太郎さんとも親しかった歴史学者の上田正昭さん(88)が古文書の調査中、芳洲の書いた「交隣提醒(こうりんていせい)」を“発掘”する。そこに「誠信」のキーワードがあった。相手国の言葉、慣習によく通じ、尊重するのはむろん、要は<互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる誠信の交わり……>と記されていたのである。

 朝鮮外交を担当した対馬藩に仕えた芳洲は中国語も朝鮮語もこなした一流の国際人だった。朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節団・朝鮮通信使に2回、随行している。「交隣提醒」にはこうした見聞に基づくアドバイスが盛り込まれている。日本人が日本酒を「三国一だ」とやたら自慢げに勧めるのは相手の内心が分かっていないと嘆き、朝鮮人には朝鮮の酒が、中国人には中国の酒が口に合うのだ、と戒めている。多文化共生が善隣の道ということだろう。肖像画はいかめしい顔だが、なかなかいいことを言うな、と思う。
引用元:覚え書:「特集ワイド:日韓外交に「誠信」を 江戸時代の儒学者、雨森芳洲に学ぶ」、『毎日新聞』2015年10月28日(水)付夕刊。 – Essais d’herméneutique http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20151110/p5

古文書なのですらすらと訳すことが、難しい。
興味深いと思った箇所だけ、試しに訳出しよう。

>ふんどし一丁でオケツをからげた姿は、日本人にとっては男意気だ(最近はそうでもないが、、、)。また、風呂で裸の付き合いも、結構なことだ。しかし半島の常識では、野蛮な習俗でしかない。一方半島の人は、親類の喪に服したとき、大声を挙げて泣きわめく。これは儒教に定められている葬礼にのっとったもので、大声で泣き悲しめば、周囲の人は遺族がどれだけ故人を大事にしていたかがよく感じ取られて、もらい泣きするのが人情だと、彼らは思っているのである。しかし、金日成の喪に服したピョンヤン市民の身をよじらせて号泣する映像を見て、たぶんほとんどの日本人が不気味に思って嘲笑したように、彼らの喪礼が日本人を感動させることは、たぶんない。

朝鮮人は日本人と言葉の上でも相争ったりしないようにしているのですが、それを彼らの主意だと早合点するがゆえに、彼らは毎度に自国のことを謙遜している一方で、日本人はかえって自国のことを常に自慢ばかりしています。たとえば、酒の一事などにしても、「日本の酒は、三国一ですぞ。だから朝鮮の皆様も、そのように思われるでしょう?」などと誇ります。朝鮮人が、「なるほど、そうですな。」と返答すれば、やっぱりそうであったかと得心します。ところが彼らは内心では、「了見の狭い奴だ!」と嘲って、何の評価もしていないのです。日本の酒が三国一だと朝鮮人が思っているのならば、会合があったりした際に、日本酒が飲みたいと申し出るはずです。ところが、そんなことはありません。それは、日本人の口には日本酒がよいのであって、朝鮮人には朝鮮酒、唐(中国)人には唐酒、紅毛(オランダ)人には阿利吉(アラキ。蒸留酒)がよいのです。これは、自然の道理です。以前、訳官たちの会合で、真意を申していただきたいと彼らに促した際に、我ら朝鮮人にとっては食べ慣れているものがよいのです、と言われました。また、日本酒は確かに結構であるが、胃につかえます。多く飲むには、朝鮮酒がよいです、とも言われました。お国(対馬藩)のうちに酒豪がいたとしても、京酒(つまり、清酒)を好まずかえってお国の薄にごり酒を好む者がいるのと、同様の心持ちなのです。
引用元:雨森芳洲さんが書かれた「交隣提醒」とはどのような内容なのでしょうか? – … – Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107378467