『小倉百人一首』に収められた
赤染衛門の和歌は「やすらはで
◯◯◯◯◯◯◯◯◯ふけて
かたぶくまでの月を見しかな」?
寝夜しをのさまなも
寝なましものをさ夜(答)
28%
『小倉百人一首』で
いわゆる「一字決まり」の札は
全部で何枚ある?
7枚(答)
37枚
42枚
16枚
四択
『小倉百人一首』で
いわゆる「一字決まり」の札は
7枚ありますが
いわゆる「二字決まり」の札
は全部で何枚ある?
42枚(答)
線結び
次の『小倉百人一首』に収められた和歌の最初の部分とその作者の、正しい組み合わせを選びなさい
みちのくのしのぶもぢずり───河原左大臣
やすらはで寝なましものを───赤染衛門
心あてに折らばや折らむ───凡河内躬恒
【2002年6月30日配信】[No.065]
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆【今回の歌】
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな赤染衛門(59番) 『後拾遺集』恋・680
■□■ 現代語訳 ■□■
(こんなことなら)ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。
(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西に傾い
て沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。
■□■ ことば ■□■【やすらはで】
「やすらふ」は「ためらう」とか「ぐずぐずする」という意味に
なります。
【寝なましものを】
「まし」は反実仮想(現実には起こらなかったことを、もし起こ
ればと想像すること)の助動詞で、「ものを」は逆接の接続助詞
です。ここでは「もしあなたが来ないことが分かっていたら」と
反実仮想し、「寝てしまっただろうに」と言っています。
【さ夜ふけて】
「さ」は言葉の調子を整えるための接頭語で、全体で「夜は更け
て」という意味になります。
【傾(かたぶ)くまでの】
「傾(かたぶ)く」は、月が西の山に傾くこと。月は夜の早いう
ちに東から昇って夜明け前に西に沈んで行きますので、「夜明け
が近づいた」という意味になります。「まで」は事柄が至り及ぶ
限界を表す副助詞で、全体として「月が西に沈むまでの」という
意味になります。
【月を見しかな】
「かな」は詠嘆の終助詞で「月を見たことですよ」という意味に
なります。■□■ 作者 ■□■
赤染衛門(あかぞめえもん。958?~1041?)
和泉式部と並ぶ才媛と言われ、藤原道長の繁栄を描いた「栄花物
語」正編の作者として有力視されています。
赤染時用(ときもち)の娘と言われていますが、実の父は平兼盛
(かねもり)とも言われます。衛門は父の官名からとられていま
す。文章博士の大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し、2人の
子供を産みました。曾孫は百人一首73番を作った大江匡房(まさ
ふさ)です。藤原道長の妻・鷹司殿倫子(たかつかさどのりんし)
と、その娘の中宮彰子(しょうし)に仕えました。
夫の死後は尼僧となり、85歳以上まで生きました。
引用元:【百人一首講座】やすらはで寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月を見しかな─赤染衛門 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】 https://www.rakuten.ne.jp/gold/ogurasansou/hyakunin/059.html赤染衛門(あかぞめえもん、天暦10年(956年)頃? – 長久2年(1041年)以後)は、平安時代中期の女流歌人。大隅守・赤染時用の娘。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。
経歴[編集]
赤染衛門は赤染時用の娘とされる。しかし、赤染衛門の母親が前夫である平兼盛と婚姻していた頃に懐胎した後、再婚先である赤染家において、赤染衛門を出産したために、実父は平兼盛との説もある。後に、平兼盛は娘の親権を巡り、現夫の赤染時用との間で裁判を起こすが敗訴している。和歌[編集]
小倉百人一首
五十九番 やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな (『後拾遺和歌集』恋680)
姉妹のもとに通っていた藤原道隆が訪れなかったため、姉妹の為、和歌を代作した。
下記説話に関連する歌
代わらむと 祈る命は をしからで さてもわかれんことぞ悲しき (『詞花和歌集』雑下362)
【現代語訳】(息子に)代わり、死んであげたい、と祈る私の命は惜しくはないけれど、その祈りが叶い、(息子の大江挙周と)別れることになるのは、悲しい。
今昔秀歌百撰三十二番に選ばれている。選者:高橋秀(御茶の水女子大學大學院)
今宵こそよにある人はゆかしけれいづこもかくや月をみるらん (『後拾遺和歌集巻四』)
引用元:赤染衛門 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9F%93%E8%A1%9B%E9%96%80