タタールの軛(くびき)


13世紀から15世紀にかけて
ロシアがモンゴル帝国に
支配されていた時代のことを
「◯◯◯◯のくびき」という?
ビチフスラ
ルギーンタ
タタール(答)
47%

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モンゴル帝国の一部
首都はサライ
モスクワ公国の独立後に崩壊
バトゥが建設
イル・ハン国
キプチャク・ハン国(答)
オゴタイ・ハン国
チャガタイ・ハン国
引用元:「キプチャク・ハン国」首都サライ バトゥが建国 4ハン国の首都 アルマリク「チャガタイ・ハン」 エミール「オゴタイ・ハン」 サライ「キプチャク・ハン」 タブリーズ「イル・ハン」 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/1260/

13~15世紀、ロシアがバトゥの遠征以来、モンゴル国家であるキプチャク=ハン国の支配を受けたこと。

モンゴル帝国のバトゥの西方遠征によって、1240年にキエフ公国が滅ぼされてから、1480年に独立を回復するまでの約240年続いた、ロシアがモンゴル人の支配を受けていた時代のこと。「くびき(軛)」とは牛や馬を御する時にその首に付ける道具。つまりロシアがモンゴルに押さえつけられていた時代、という意味となる。ノヴゴロド公アレクサンドル=ネフスキーは東方からのスウェーデンやドイツ騎士団の侵入を撃退したが、キプチャク=ハン国にはみずから進んで臣従し、1252年にはモンゴルの力でロシア正教の主教座のあるウラディミール大公となった。その後、ロシア諸侯はキプチャク=ハン国に対して貢納するという形で服属を続け、1480年、モスクワ大公国のイヴァン3世がキプチャク=ハン国から自立してその軍を撃退し、「タタールのくびき」は終わりを告げる。
タタールの意味
 タタールという言葉には注意を要する。
(引用)「タタールという言葉には、いつもある独特な響きがつきまとう。13世紀のヨーロッパ人たちの祖先は、”地獄から来れる者ども”(エクス・タルタロ)というラテン語を思わせる「タルタル」をモンゴル人を指す語として用いた。一説には、タルタルがモンゴルの一部族だった韃靼(タタール)の音とよく似ていたからだという。」注意しなければならないのは、現在ヴォルガ川中流で生活するタタール人ではないことである。現在のタタール人はヴォルガ中流域の先住民であるフィンランド人やハンガリー人の祖先たちと、後から移動してきたトルコ系民族(ブルガール人)の混血から生まれた民族で、イスラーム教化し、13世紀にモンゴルのキプチャク=ハン国に服属したが文化的にはモンゴル人を圧倒し、モンゴル人を同化させた。その後、征服者モンゴルを意味するタタールを民族名として自称するようになった。<山内昌之『ラディカル・ヒストリー』1991 中公新書 p.48 などによる>
引用元:タタールのくびき http://www.y-history.net/appendix/wh0602-056.html

タタールの軛(タタールのくびき)またはモンゴル=タタールの軛(モンゴル=タタールのくびき、ロシア語: Монголо-татарское иго、英語: Tataro-Mongol Yoke)とは、13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とそれにつづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルーシ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を、ロシア側から表現した用語である。現在のロシア人などの祖先であるルーシ人のモンゴル=タタールへの臣従を意味するロシア史上の概念である。
引用元:タタールのくびき – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%B3%E3%81%8D