こがらしや海に「夕日」を吹き落とす


冬のこがらしの強さを詠んだ
夏目漱石の句は「こがらしや
海に◯◯を吹き落とす」?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
ゆうひ(答)
-%

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気象庁の定義では
「木枯らし」とは
風速何メートル以上の風?
9メートル
6メートル
7メートル
8メートル(答)
引用元:風速8メートル以上の北寄りの風「木枯らし」 http://seethefun.net/%e7%90%86%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/21665/

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木枯らしなどが木々や電線に
吹きつけて出る笛のような音
虎落笛
もがりぶえ(答)

連想
おまる
イタドリ
コレラ
もがりぶえ
虎(答)
「御虎子」
「虎杖」
「虎列刺」
「虎落笛」
引用元:「虎が雨」旧暦5月28日に降る雨 「虎御前」が曾我十郎祐成を悲しむ涙雨 「虎落笛」もがりぶえ「カルマン渦によって起こるエオルス音」 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/21035/

凩(こがらし)や海に夕日を吹き落す

この句は、熊本第五高等学校在職中の夏目金之助(漱石)が明治29年11月中旬、軍事演習的要素の強い修学旅行の引率で、天草島原方面を巡回した時に詠んだ句です。富岡付近から眺めた天草灘から東シナ海の落日ではないかと推定されています。子規に送った句稿その21の冒頭に記されています。

こがらしは(初)冬を連想させる季語ですが、あっという間に日が沈む、(晩)秋のつるべ落としと言われる情景と思われます。こがらしが吹いていなくても、西日は一気に沈んでいたはずですが、あったいう間に日没を完結させたと思われてしまうほど、こがらしの吹き荒び方が凄まじかったという句意かと思われます。
引用元:凩(こがらし)や海に夕日を吹き落す ウインライのブログ/ウェブリブログ http://souseki-study.at.webry.info/201002/article_2.html

漱石の俳句から、100句を選んでみました。熊本時代に大半の俳句(漱石の全俳句約2400句のうち約1000句が熊本時代)を詠んでいるようですが、ここに紹介したものが熊本時代のものとは限りません。漱石の俳句の中から勝手に選んだものです。

33 こ 凩(こがらし)に裸で御はす仁王哉
34 こ 凩(こがらし)や真赤になって仁王尊
引用元:漱石の俳句 http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/soseki_h.html

漱石は明治時代を代表する俳人、正岡子規と親友でした。

 彼らは帝国大学の学友です。知り合ったのは大学に入る前の大学予備門でのことです。
 子規が書いた『七草集』(しちそうしゅう)という漢詩文集を漱石が読んで批評し、漱石が書いた紀行文集『木屑録』(ぼくせつろく)を子規が読んで批評する、という形で交流を深め、仲良くなっていきました。
 漱石という雅号が初めて使われたのも、『木屑録』からでした。これは正岡子規から譲り受けた物で、漱石の本名は、夏目金之助と言います。

「ふつう、英書を読むものは漢書が読めず、漢書が読めるものは英書が読めないものだが、両方できるきみは、千万中のひとりといっていい」
 と正岡子規は、夏目漱石の才能を絶賛しました。

 1893年に帝国大学英文科を卒業した漱石は、2年後、英語教師として松山の中学校に赴任します。この際の下宿先・愚陀仏庵に、1895年8月27日、正岡子規が居候したことをきっかけに、俳句作りを始めるようになりました。この時、漱石は28歳です。
 漱石は、本当は本が読みたかったようなのですが、子規が仲間を大勢集めて句会を開いていたため、うるさくて勉強に集中できず、仕方なくその輪に加わったようです。

永き日や欠伸うつして別れ行く
 漱石は翌年、松山を去った子規に、このような別れの句を送っています。
 どこかユーモラスな響きを伴った句ですね。
 漱石は、滑稽でなユーモア性に溢れた俳句を残しています。

本名は頓とわからず草の花
 こちらは、一読して思わず噴き出してしまいそうになりました。
 草や花の名前を調べて覚えることが、俳句作りの基礎訓練ですが、そういった常識をすっ飛ばしています。
 正岡子規に聞かせたら、月並み句として叱られそうな句ですね。
引用元:夏目漱石・俳人列伝/日本俳句研究会 https://jphaiku.jp/haizinn/souseki.html