「三条右大臣」藤原定方「謙徳公」藤原伊尹「河原左大臣」源融


次の『小倉百人一首』の
詠み人とその正体の
正しい組み合わせを選びなさい
三条右大臣───藤原定方
謙徳公───藤原伊伊
河原左大臣───源融
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『小倉百人一首』に収められた
源融の和歌は「みちのくの
◯◯◯◯◯◯◯誰ゆえに
みだれそめにし我ならなくに」?
のしぢずもりぶ
しのぶもぢずり(答)
引用元:源融(みなもとのとおる) みちのくの「しのぶもぢずり」誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに 文知摺観音 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/22889/

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『小倉百人一首』に収められた
和歌「音に聞く 高師の浜の
あだ波は かけじや袖の
ぬれもこそすれ」の作者は?
子祐家伊紀親王内
祐子内親王家紀伊(答)
ゆうしないしんのうけのきい
引用元:祐子内親王家紀伊「音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ」 http://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/28519/

藤原定方 ふじわらの-さだかた

873-932 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
貞観(じょうがん)15年生まれ。藤原高藤(たかふじ)の次男。母は宮道(みやじの)列子。延喜(えんぎ)9年(909)参議となり,のち右大臣,従二位にすすむ。娘婿の藤原兼輔(かねすけ)とともに,宇多・醍醐(だいご)朝の宮廷歌壇をささえた。「古今和歌集」以下の勅撰集に18首がはいる。承平(じょうへい)2年8月4日死去。60歳。贈従一位。家集に「三条右大臣集」。
【格言など】名にし負はば逢坂(あふさか)山のさねかづら人に知られでくるよしもがな(「小倉百人一首」)
引用元:藤原定方(ふじわらの さだかた)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%96%B9-1105972

藤原伊尹 ふじわらの-これただ

924-972 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延長2年生まれ。藤原師輔(もろすけ)の長男。母は藤原経邦の娘盛子。天徳4年(960)参議。天禄(てんろく)元年右大臣,摂政,2年正二位,太政大臣。一条摂政とよばれる。妹安子が生んだ冷泉(れいぜい)天皇,円融天皇のもとで勢力をもった。「後撰和歌集」の和歌所別当。天禄3年11月1日死去。49歳。贈正一位。諡(おくりな)は謙徳公。名は「これまさ」ともよむ。家集に「一条摂政御集」。
【格言など】あはれともいふべき人はおもほえで身のいたづらに成りぬべきかな(「小倉百人一首」)
引用元:藤原伊尹(ふじわらのこれただ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BC%8A%E5%B0%B9-124624

源融 みなもとの-とおる

822-895 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
弘仁(こうにん)13年生まれ。嵯峨(さが)天皇の皇子。母は大原全子。嵯峨源氏。斉衡(さいこう)3年(856)参議。貞観(じょうがん)14年(872)左大臣にすすみ,従一位にいたる。皇位に希望もあったが藤原基経におさえられたという。河原左大臣とよばれ,豪奢な風流生活で有名。寛平(かんぴょう)7年8月25日死去。74歳。贈正一位。
【格言など】みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れ初(そ)めにしわれならなくに(「小倉百人一首」)
引用元:源融(みなもとのとおる)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%BA%90%E8%9E%8D-139218