三関「不破関、鈴鹿関、愛発関」


次のうち、飛鳥時代から
江戸時代にかけて「三関」と
呼ばれて重視された関所を
1つ選びなさい
愛発関(答)
不破関(答)
白河関
勿来関
鈴鹿関(答)
安宅関
山海関
念珠関
31%

夷狄(いてき)の侵入から帝都を防衛するために置かれた古代の三つの関所。伊勢(いせ)国(三重県)鈴鹿(すずか)関、美濃(みの)国(岐阜県)不破(ふわ)関、越前(えちぜん)国(福井県)愛発(あらち)関がこれである。鈴鹿関は後の東海道関宿付近、不破関は中山道(なかせんどう)の関ヶ原、愛発関は海津(かいづ)から七里半越により疋田(ひきた)に出るまでの塩津(しおつ)からきた街道との交差点付近にあったと考えられる。646年(大化2)の大化改新の詔(みことのり)に「斥候(うかみ)、防人(さきもり)とともに関塞(せきそこ)(関所)を置け」とあるのによって設けられたものである。708年(和銅1)には三関国守のことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえている。平時には国司が警備するが、反乱、譲位、天皇・上皇・皇后の崩御、摂政(せっしょう)・関白の死去に際しては、朝廷は固関使(こげんし)を派遣して固めさせた。789年(延暦8)廃止されてのち、愛発関が逢坂(おうさか)関にかわって三故関といわれた。[田名網宏]
引用元:三関(さんかん)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E9%96%A2-70481

三関(さんげん、さんかん)とは、古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された三つの関の総称。三国之関とも呼ばれた。当初は不破関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関(伊勢国、現在の三重県亀山市か)、愛発関(越前国、現在の福井県敦賀市内か)の三つを指したが、9世紀初頭に相坂関(近江国、現在の滋賀県大津市付近か)が愛発関に代わった。また、三関のある律令国は三関国と呼ばれた。
引用元:三関 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%96%A2