『岳飛伝』田中芳樹

田中芳樹の小説でも知られる
宰相・秦檜(しんかい)と
対立した南宋の武将は◯◯?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
がくひ(答)
岳飛
36%

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次の田中芳樹の小説
『タイタニア』シリーズの
副題を、刊行順に選びなさい
『疾風篇』
『暴風篇』ばくふうへん
『旋風篇』
『烈風篇』
引用元:『タイタニア』「疾風篇」「暴風(ばくふう)篇」「旋風篇」「烈風篇」 発表順『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』『タイタニア』『薬師寺涼子の怪奇事件簿』 http://seethefun.net/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%EF%BC%86%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/24823/


こんなにも血湧き肉踊る物語があったのか!!
『創竜伝』『銀英伝』の著者が放つ大河歴史スペクタクル!

宋の八代皇帝・徽宗(きそう)の世。黄河に近い岳(がく)家に生まれた男児・飛(ひ)は、生後3日目にして大洪水に流される。だが、彼こそは後に北方の侵略者から祖国を守るため激闘する、中国史上最大の名将なのである。若き英雄の誕生と成長、そして力強い仲間を得て旅立つ様を描く、一気読み必至の大河歴史スペクタクル第1巻!
引用元:『岳飛伝(一) 青雲篇』(田中芳樹):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062758192

岳飛
がくひ
(1103―1142)

中国、南宋(なんそう)建国期の武将。字(あざな)は鵬挙(ほうきょ)。相州湯陰(とういん)(河南省)の人。貧しい農家に生まれる。北宋末、金(きん)軍の侵入に対して各地に義勇軍がおこったが、岳飛は1122年にこれに応募し、たび重なる金との戦いや国内の農民反乱の平定に軍功をあげて、34年に節度使(せつどし)に任ぜられ、異例の出世を遂げた。36年、襄陽(じょうよう)(湖北省)に在駐してのち、宣撫使(せんぶし)に昇格すると、本格的に管内の軍事、行政、財政の三権を掌握して、南宋政府に対抗できるほどの一大軍閥に成長した。岳飛、韓世忠(かんせいちゅう)ら軍閥諸勢力は金との抗戦を主張したが、41年、和平論を主導する宰相秦檜(しんかい)は、軍閥間の対立を利用して、その実権を奪い、文官による中央集権政治の回復を図った。とくに諸将軍中もっとも強硬であった岳飛は、謀反を口実に獄死させられた。しかし死後、その無実はそそがれた。岳飛は当時の武将には珍しく学問があり、また書家としても一流であった。後世、岳飛廟(びょう)に祀(まつ)られ救国の英雄として親しまれている。[伊藤宏明]
引用元:岳飛(がくひ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B3%E9%A3%9B-43780

岳 飛(がく ひ、拼音: Yuè Fēi、崇寧2年2月15日(1103年3月24日) – 紹興11年12月29日(1142年1月27日))は、中国南宋の武将。字は鵬挙。相川湯陰(河南省湯陰県)出身。南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた宰相・秦檜に謀殺された。その功績を称えて後に鄂王(がくおう)に封じられ(岳鄂王と呼ばれる)、関羽と並んで祀られている。
引用元:岳飛 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B

秦 檜(しん かい、元祐5年12月25日(1091年1月17日) – 紹興25年10月22日(1155年11月18日))は、南宋の宰相。字は会之。江寧(現在の南京)出身。金との講和を進め和議を結ぶが、その過程において岳飛ら抗金派の政府要人を謀殺・平民へ落とすなどし、その後も自らの権力保持のために敵国の金の圧力を背景に恐怖政治を敷いたので、後世、その名は売国奴の代名詞となり蔑まれた。妻は王氏(宰相・王珪の娘)、実子の名は不詳、養子秦熺の子である孫が秦塤[1]。
引用元:秦檜 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%AA%9C